気付いたときにはもう、彼に後ろから抱きしめられていた。
「お、お代がいるとは存じ上げませんで……」
「次はこの程度じゃ済まねえからな」
「こ、こりゃあれだね。もう頼めないパターンのやつだね」
「俺は別にいいぞ。お代弾んでくれるなら」
さっきはもうやめろとか言ってたくせに。ほんと、調子いいんだから。
けれど、「このまま聞け」と。次に耳元でそっと囁かれた言葉にわたしは。
「いいか、絶対振り向くな。迷うな」
「つばっ」
「真っ直ぐ。只管にあいつのことだけ思って――」
――――ただ、走れ。
ドンッ――と押してもらった次の瞬間、背中の勢いに任せ、講堂の扉を大きく開いていた。
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「お疲れ様つばさクン。上手に自分の心に嘘、つけるようになったのかな」
彼女が出て行った扉から、ひょっこり現れたのは赤い髪。
「……なんだ、いたのか茜」
「ううん。本当に今来たところ。どうなったかなーっと思って様子見に」
「それで?」そう聞いてくる彼に、俺はふっと笑いながら首を緩く振った。
「あらら。でも、それにしてはつらそうに見えないよ?」
「結局は、俺も嘘がつけるような人間じゃないってこと」
「……ん?」
「諦めること自体を諦めたら、案外ラクだったんだよ」
一瞬、目を丸くした茜だったけれど、そのあとすぐ嬉しそうに顔を綻ばせた。
「おれがシフト替わってあげただけの収穫はあったってことかな?」
「悪いな。助かったよ」
「おれも気にはなっていたからね。……大丈夫そう?」
「応急処置みたいなもんだろ。あとは、葵次第。それから、あいつ次第」
「……そっか。あ、あとねつばさクン」
「なんだよ」
音なく動いた口の持ち主から、俺は首に手を添えながらしゃがみ込んで逃げた。
“――ものすっごい真っ赤だよ?”
「(……言われなくてもわかってるっつの)」



