すべての花へそして君へ②


【トラウマ】というものは、存外忘れた頃にやってくるもので。自分の中で許せていたとしても、ちょっとしたきっかけで簡単にフラッシュバックしてしまうのだ。


「ビショ濡れの子がおる思うたら柚子ちゃんやん」


 少しずつ開いていく窓に足が竦んでいると、中から出てきたのはよく知っている人だった。
 けれど、思い出してしまった手前、恐怖で上手く声が出ない。


「……あ。……ああ……」

「……柚子ちゃん?」


 はっと何かに気づいた彼は「ちょっと遅れますーて紫苑さんに言うといて。ああそれと、ついでに青天目さんとこ行って――」と、軽妙且つ迅速に伝言を頼み、運転席から車を降りた。


「……すみ。ませ……」

「さーてなんのことか」


 きっと、黒い車が見えなくなるまで。この人はあたしの目の前から絶対に動くことはしなかった。


「……あの、マサキさん」


 それから、どれくらい経っただろうか。落ち着きを取り戻した頃に声をかけようとすると、返事の代わりに肩にジャケットが掛けられた。


「えっ。ぬ、濡れちゃいます……!」

「ええから着とき」

「でも……」

「脱いだらな、けったいな目で見られるでー。実はそれ、黒おてよう見えてへんけどな、すっごい血だらけやねん」


 煙草を燻らせながら、彼はにやりと口の端をあげてそんなことを言う。


「……それはあきませんねえ」

「せやろ?」


 だから今は黙って着ておきなさいと。目を細めた彼は、大きな手で頭を撫でてくれた。


「どこか行ってたんですか?」

「ちょっくらご近所のお仲間さんとこになー」

「……どんぱち?」

「まー嗜む程度に」

「嗜むって……ふふっ」


 ふっと香るこの匂いは、やっぱり嫌いじゃない。父とは違う、煙草と……香水。
 また、助けられてしまった。


「……なあ柚子ちゃん」

「はい」

「最近ようカナの奴、組に帰ってきよんねん」

「そうなんですか」

「いっつもスマホと睨めっこ。んでもっておーきなため息ついとってなあ」

「そうですか」

「柚子ちゃん、なんか知らん? 心当たりあることとか」

「知ってますよ」