【トラウマ】というものは、存外忘れた頃にやってくるもので。自分の中で許せていたとしても、ちょっとしたきっかけで簡単にフラッシュバックしてしまうのだ。
「ビショ濡れの子がおる思うたら柚子ちゃんやん」
少しずつ開いていく窓に足が竦んでいると、中から出てきたのはよく知っている人だった。
けれど、思い出してしまった手前、恐怖で上手く声が出ない。
「……あ。……ああ……」
「……柚子ちゃん?」
はっと何かに気づいた彼は「ちょっと遅れますーて紫苑さんに言うといて。ああそれと、ついでに青天目さんとこ行って――」と、軽妙且つ迅速に伝言を頼み、運転席から車を降りた。
「……すみ。ませ……」
「さーてなんのことか」
きっと、黒い車が見えなくなるまで。この人はあたしの目の前から絶対に動くことはしなかった。
「……あの、マサキさん」
それから、どれくらい経っただろうか。落ち着きを取り戻した頃に声をかけようとすると、返事の代わりに肩にジャケットが掛けられた。
「えっ。ぬ、濡れちゃいます……!」
「ええから着とき」
「でも……」
「脱いだらな、けったいな目で見られるでー。実はそれ、黒おてよう見えてへんけどな、すっごい血だらけやねん」
煙草を燻らせながら、彼はにやりと口の端をあげてそんなことを言う。
「……それはあきませんねえ」
「せやろ?」
だから今は黙って着ておきなさいと。目を細めた彼は、大きな手で頭を撫でてくれた。
「どこか行ってたんですか?」
「ちょっくらご近所のお仲間さんとこになー」
「……どんぱち?」
「まー嗜む程度に」
「嗜むって……ふふっ」
ふっと香るこの匂いは、やっぱり嫌いじゃない。父とは違う、煙草と……香水。
また、助けられてしまった。
「……なあ柚子ちゃん」
「はい」
「最近ようカナの奴、組に帰ってきよんねん」
「そうなんですか」
「いっつもスマホと睨めっこ。んでもっておーきなため息ついとってなあ」
「そうですか」
「柚子ちゃん、なんか知らん? 心当たりあることとか」
「知ってますよ」



