無事にベンチへと到着すると、ツバサくんは深く腰掛け、また大きく息を吐いた。やはり、人混みで疲れたらしい。今の恰好だと、女の子はもちろん男の子まで寄ってくるだろうからな。


「ちょっと待ってて? そこでラムネか何か買って――」


 立ち上がると、言葉の代わりに手首をぎゅっと掴まれた。


「……ツバサくん?」


 決して振り解けないわけではない。
 けれど、引き留める力に。縋るような瞳に。どうしてか、次の足も言葉も上手く出てこなくなる。


「……葵、が」


 その状態が、どれくらいか続いた頃。


「あんたさえ、嫌じゃなかったら……」


 一度だけ握る手に力を込めた彼は、わたしの視線から逃げるように項垂れながら、すっと手を離して掠れた声を落とす。


「……あいつ、来るまででいいから隣、座ってて欲しいんだけど」


 その姿でいる理由がわかって、俯く彼の気付かないところでわたしは、小さく笑みをこぼした。


「あの、座りました……けど」


 そう言われてどれくらい経ちましたでしょうか。隣に座ったものの、言った本人はわたしから少し距離をとってから頭を抱えていた。悩み事か何かだろうか。


「……複雑」

「え? なにが?」


 聞いても返事なし。ただ、また彼は大きなため息を落とすばかり。一番重いなあ……。


「あの、ツバサくん」

「あんなこと言っておきながら、なんか軽く罪悪感だし」

「ん?」

「それは置いといても、普通に隣に座ってくる馬鹿がいるし」

「……あれ。貶されてるわたし……」

「それなのに……」


 また大きくため息を吐き落としたツバサくんは、ゆっくりと頭から手を外し、櫓の方へ視線をもたげる。……その横顔にわたしは、思わず目を瞠った。


「ただ隣に座っただけなのに、内心大喜びしてるような馬鹿な奴がいるから、複雑だっつってんだ」

「…………」


 まるで、遠くで火を灯す朱い提灯みたいだと、……そう思った。


「……ふふっ」

「んだよ」


 暗がりでもそれは、わかってしまうくらいで。ああ、頭を抱えていたわけじゃないんだなって。


「可愛いなって思っただけ」

「……可愛い言うな」

「いいでしょう? だって今は女の子だしっ」

「……よくねえ」


 ほんのり紅さす頬骨あたりと真っ赤な耳に、やっぱり思ってしまうんだ。さすが兄弟だなって。
 なんだか嬉しくてまた笑っていると、ふいに視線を感じた。向いたそこには、まだ少し朱さが残る頬の耳の持ち主がいて。じっと、こちらを見つめていて。


「ツバサ、くん……?」

「言ってなかったなと思って」


 ふっと上がった口角に気をとられていると、彼の指先が頬に触れるか触れないかの場所を滑っていき、そのまま耳元に垂らした後れ毛をくるくると悪戯に弄り始める。


「……浴衣、似合ってるよ。すげえかわい――」