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『つめっ。……てめえ、なにすんだ』


 手の中にあったのは、【氷】と書かれていたはずの握り潰れたカップ。彼女から預かったそれを、気付いたときにはもう、金髪男の頭にぶっかけていた。


『何すんだ? それを言いたいのはこっちの方なんだけどな~?』


 そいつの目の前に座り込み、そのままグイッと髪の毛を引っ掴む。


『っ、てえな』

『ねえ。ちょっと教えてよ』

『っは? ……んだよ』

『あの子に聞いても教えてくれないからさ~? 彼女のどこに触ったのか』

『はあ? ……っ、腕だよっ! ちょっと掴んだだけだ!』

『あっそう』


 ブチブチブチッと、ここまで髪の毛が抜ける嫌な音が聞こえる。その痛みに顔を歪め、何するんだと睨み付けてくる目の前の男にそれ以上の凄みを効かせ、至近距離で睨み返す。


『子どもの頃言われなかった? 嘘ついちゃいけないって』


『なあ』と、この距離で逃げようとする視線を逃がすまいと、再びグイッと髪を掴み上げる。


『――今度俺の前に姿見せてみろ。死んだ方がましだって思わせてやるからな』


 白目になって気絶したこの男を見ても、おさまらなかった。
 ……腹が立つ。駆けつけた時にはもう、アオイちゃんの大掃除が終わりかけていた。そもそも、なんで彼女を一人にしたんだ。いや、買ってくるから待っててって言われたんだけど。
 でも、それはしちゃいけなかった。それも、こんなところで。彼女には絶対。それなのに。
 ……腹立つっ。……何、やってんだ。どうしていつも、こうなんだろう。俺は、どうしていつも。いつもいつもっ……。


「か、かなくん」

「ユズちゃん、怪我はないっ?」

「う、うん。ないっ」


 しかも彼女は彼女で「大丈夫だから」ばっかり。……大丈夫だったら、どうして震えてるの。俺は、全然大丈夫じゃないよ。
 一刻も早くあいつらから離れようと。歩いていたら、知らぬ間に結構遠くまで来てしまっていた。でも、人がいない分静かだ。ちょっと落ち着こう。


「かな、くん。手、ちょっとだけ……痛い」

「……! ご、ごめん」


 慌てて外した彼女の腕には、少し赤く跡が残る。……どれだけ強く掴んでたんだ。これじゃあ、あいつらと一緒じゃないか。


「……ユズちゃん、ごめん」


 小さく、何度も謝る。いつもいつも、肝心なところで……ごめん、と。
 でも「大丈夫」と。俯きながら彼女は、俺が掴んでいたところを押さえるだけ。


「……また、怖い思いさせたね」


 俯く彼女が、目に見てわかるほど大きく震え始める。


「また、……助けてあげられなかった」


 ふるふると。弱々しく彼女は首を振った。こんな時まで俺に気を遣ってくれる優しい彼女に、嬉しくもあり情けなくもあり。
 着ていたパーカーを、そっと彼女の肩に掛ける。


(……大事な子も、守れないなら)


 また傷付けるなら。傷付くくらいなら。
 ……もういっそ、彼女と会わない方が、いいのだろうか。