一昔前のこと。道明寺の地位はそこまで高くないものの、信の置ける同業者だった。そこまで至ったのには、長い時間をかけてきたのだろう。――そこへ、彼女がやって来た。
「名前は望月梓。ぼくが心を奪われてしまった唯一の女性だ」
今までそんな瞳など、したことなかったのに。彼の瞳は、わたしではないものを映しているように見えて。頬に触れてくる手が、やさしさではなく妖艶さを纏っていた。
ぼくが彼女のことを知ったのは、既に道明寺薊と婚姻し、そして離婚をした、病院のベッドの上。彼女があの家から出ると、瞬く間にがたつきが起こった。それで、ここまでの成長を成し遂げたのは彼女のおかげだったのだと、ぼくは察した。
しかし、がたつきは治まるばかりか、また急成長をし始めた。……そこで広がったんだ。噂が。
「一つはもちろん君の存在。もう一つは、実際は落ちぶれていっているのではないかということ」
やさしかったはずの瞳が、悲しみで陰り始める。そうなるのが嫌で手を伸ばそうとしたら、その手さえも、妖艶な仕草で止められた。
……本当に今、目の前にいるのはあの理事長なのだろうか。少なくとも今わたしの瞳に映る彼は、ただ愛する女性に会いたくてしょうがない、恋い焦がれる男の人にしか見えなかった。
それからすぐ。もう永くはなかった彼女が、この世からいなくなった。その代わりに君が現れた。
「こんなことを思うのはおかしいと思う。でも、気持ちの行き場がなかったんだ。……君は彼女の代わりなどではない。彼女を奪った悪魔なのではないかと」
その言葉を口にした途端、今度は憎悪一色で彼の手も顔も瞳も、色濃く染まり始める。こんなにコロコロ変えられる彼もまた、海棠を背負う身なのだなと。今思うのもどうかと思うけれど、改めて身を以て実感した。
「ただの噂だ。それに自分が乗っかってそんなことを思っていただけだよ。だから、……君を初めて見た時は正直言って驚いたんだ」
そうしてまた雰囲気が変わり、やさしい彼へと戻った。
「重ねて見ていることはなかったよ。ただ、似ているなと思っただけだ。だからぼくは、そういう仕草は全然していなかっただろう?」
「ええ。だから、話を聞くまでは全然わたしもわかりませんでした」
「でしょ? だって、流石にそれは君に失礼だったからね。……それに、話を聞いてからは、もうぼくの中で君の悪魔は消え去った」
「……理事長」
「正直に言うよ、葵ちゃん。ぼくは――」



