それはさておき。今はカエデさんの地図のおかげで、用意してある部屋まで迷子にならず移動中。
「……おや。葵ちゃん。こんな夜遅くにどうしたんだい?」
「あ。理事長! こんばんはー」
用意された部屋のある階の窓から、外を眺めていた理事長に出会した。
「今、『今までありがとう』って。『お疲れ様』って言いに行ってたんです」
「そうか。……葵ちゃんも、お疲れ様」
やさしい顔をしている彼が頭に乗せた手も、すごくすごくやさしさで溢れていた。
そんなあたたかさに小さく笑ったあと。
「……理事長。ひとつ、聞いてもいいですか?」
「うん。なんでもどうぞ」
聞きたいことがあったんだ。ずっとずっと、気になっていたこと。できれば、濁さずに教えて欲しい。
「わたしの名字。あなたはご存じだったんじゃありません?」
「……」
瞳の奥からは、何を考えているのか読み取ることはできなかった。……どうなのだろう。もう、自分の推測ではあるけれど。
「ヒナタくんから話を聞いたので、もうわたしは全て知っています。それに、もしご存じだったとしても、わたしがあなたに感謝しているのは変わりありません」
そう言って深く、頭を下げる。彼にもたくさんたくさん、迷惑を掛けてしまったのだから。
「理事長。本当に、わたしなんかを入学させてくれてありがとうございます。たくさんたくさん、手を尽くしてくれて、ありがとうございましたっ!」
けれど彼は、しばらくの間、何も言葉を発さなかった。どうしたのだろうかと思って顔を上げると、彼からは理事長の仮面が剥がれ落ちていた。
「……ぼくは、君にお礼を言ってもらえるような人間ではないよ」
言葉を紡いだと思ったらそんな言葉。
そんなはずはないのにと、もちろん思ったけれど……ほんの少しだけ、影の差した彼の表情にかける言葉が見つからず。静かにただ、続きの言葉を待った。
「君の事情は噂で知っていた。でも、君から直接話を聞くまでは信じていなかった。……ぼくは初め、君のことを【悪魔の子】だと思っていたからね」
言葉にされるのは、彼の隠していた本音と事実。
それを、苦い顔をしながらも、隠さず教えてくれた。



