それからヒナタくんは、カメ並みにゆっくり歩き始めたり、道をわざと間違えて逃げようとしていたから『大丈夫だ。父が何かしようものならわたしが守るから』的なことを言ったら、何故か盛大にため息をつかれてしまったのだけど。
 まあそんなことが色々ありましたが。なんとか腹を決めてもらい、わたしたちは今皇へと向かっている最中なのだ。


「でも、連絡先オレしかわからなかったんだし。きっとパニクってたよカナタさん」

「……結局どうなったか、連絡は来た?」

「ちょうど通りかかった理事長の車に拾われて難を逃れたらしい」


 きっと、拾われなかったら今頃大変だっただろうなあ。母なら何とかしそうな気もするけど。


「でも、ちゃんと行くからね?」

「……はーい」


 怠そうな返事だけど、行くことは行くらしい。
 ……よかった。彼がいないと、パーティーをする意味なんかない。皆さんもきっと、君のことを待ってるからね。


「ねえ。『人工呼吸』って何」

「え?」


【人工呼吸】
 仮死状態に陥ったり、ショックなどで呼吸が止まったりした場合に、人為的に肺に空気を流入させて、呼吸を回復させること。口から直接空気を吹き込む方法や胸を押す方法などがある。(※参照:大辞泉)


「だよ?」

「違うし知ってるし長いしそういうことじゃないし」

「え」


 コロコロ話題は変わったけど、ちゃんと質問には答えてたはず。


「さっき、トーマがなんか言ってた」

「ん? ……あ」


 もしかして、あの時のことを……?


「泳げないの?」

「え? ううん、泳げるよ?」

「……ふーん」

「泳げるけど、自信を持って得意だとは言えないかな」

「……そ」


 素っ気ない返事だ。ちゃんと答えたのに。たったそれだけのことで、不安になる。
 みんなでも、なるだろうな。それで『どうしたの?』って、聞くと思う。


(……でも)


 どうしてヒナタくんには、その一言を、躊躇ってしまうんだろう。


(だっ、ダメだダメだ! 何を弱気になってるんだわたしはっ)


 不器用すぎる彼だけれども! 普通なら言う言葉も隠してしまう彼だけども! ここは聞かねばならぬでしょう!!!!


「ひっ、ひな」

「あの時トーマ、オレらには確か『軽く水飲んだだけ』って言ってたんだ」

「ふえ?」


 被さるようにわたしの耳に届いたのは紛れもなく、悔しそうな声だった。


「あ、ごめん。何か言いかけた?」

「え? い、いや、なんか素っ気なかったから……」

「ん? ああ。別に、素っ気なくしたわけじゃないよ」


 わたしが、人工呼吸をしなければならない状態になっていたにもかかわらず、それを自分は全く知らなかったと。それが嫌だったんだと。


「まあ泳げるなら泳げよって思ったけど」

「あはは。全くその通りで」