刹那、胸の奥がひやりと冷えた。
 感情の捌け口にするように愛音を殺しておいて、どうしてそんな事が言えるの……意味が分からない……っ。

「結月……」

 美月が震えた声で名前を呼ぶ。返事なんて出来なかった。
 見捨てた……そう思われているかもしれないと考えると、怖くて顔なんて見れなかった。

「……あの鬼は、他の鬼とは違った、わね」

 言葉を選ぶようにして紡がれた声。私は小さく頷き、残された切れ端を弱々しく握る。

 あの鬼も……助けて欲しいの? どうして? どうやって?
 消え去る直前、あの鬼は泣いていた。ちゃんとこの目で見たんだ。

 鬼ごっこの"鬼"が、逃げる私達に助けを求めるなんて……どうかしてる。
 そんなの根本から間違って──

「……この子って、本当に"鬼"なの、かな」

「どういうこと?」

「"助けて"って……言ってるの」

「なんだよそれ……っ」

 私達だって、小さい頃は毎日のように鬼ごっこをしてた。でも、必ずしも"鬼"という役割をやりたくてやっていた訳じゃ……なかった。

「もしかしたら、"鬼"っていう役割を強制されているんじゃ……ないかなって」

 独り言のように呟きながら、幼い筆跡で書かれた文字を見つめていた時。
 私の中に、僅かな違和感が芽生えた。

 ……あの鬼、見た目は幼稚園児くらいだ。とても小学生には見えない。仮にそうだとしても、1、2年生だ。
 なのにこの子、『助』っていう漢字をしっかり書けてる。

「ね、ねぇ、助けての漢字って……いつ習うっけ」

「小学三年生とかじゃないかしら」

「……見て欲しいの。これ」

 私は力の入らない足に鞭を打って立ち上がり、二人に切れ端を差し出す。
 二人は暫し凝視した後、困惑を帯びた顔をして肩を竦める。

「……ちょっと変ね」

「でも、あいつらが人間……っていう保証も無いだろ?」

「それはそう……だけど」

 あの鬼から伝わってきた哀しみは、妙に生々しくて、悲痛で……あらゆる感情を爆発させたみたいだった。
 ──今の私達みたいに、行き場のない感情が混濁して、どうしようもなくなってしまった。そう感じたんだ。

「……一旦、校舎に戻りましょう」

「……そう、だな」

 美月がそっと私の手を握る。その優しさが歪なものに感じられてしまうのは、きっと、自分自身の嫌悪感のせいだ……。

「ちょっとだけ、いい……?」

 優しく美月の手を払い、私は愛音の方へ向き直る。

 何度も、何度も、凶器で刺されて。恐怖と不安に支配されて、苦しくて、どうしようもなくて。

「ごめんね、愛音……」

 そっと愛音の傍に屈み、見開かれた瞼に手を翳す。
 ……愛音をまた一人にしてしまう。どれだけ謝っても声は届かない。だけどせめて、苦しい顔のまま孤独にさせたくはなかった。

 静かに瞼を閉じて眠る愛音。呼吸も心音も聞こえなくて、流れ出る血液すら止まりつつあって。
 愛音が生きていた証が、徐々に喪失していくのを悟るしかなくて──。

「……行きましょう」

「加賀野……ごめん……」

 手を握り直した美月が、私を導くように歩き始めた。

 一歩、また一歩と遠くなっていく愛音の亡骸を、私は見えなくなるまで瞳に映していた。