何が起きたか理解したくない。
 ただ逃げたくて、走って──気づけば校舎の外に飛び出していた。

「……うっ」

 口の中が乾き、突然思い出したように吐き気を催す。その場で蹲った私に、傍にいた飛翔がかがみ込んで背中を撫でた。

「気持ち悪いか?」

「う……ん」

「そう、だよな……羽田妹、加賀野はどうだ?」

「少し休ませた方がいいわ」

「了解。羽田姉、動けるか?」

「……だい、じょぶ」

 頭の中をぐるぐると回り続ける記憶。脳裏に刻み込まれ、離れようとしない情景。
 あんな失格……おかしいよ。今までは連れ去るだけで、手を下すことなんて無かったのに。

「……なるほどね」

 愛音の傍に付いていた美月が呟く。胡乱げにそちらを見ると、美月はスマホに目を落とし、重くため息をついていた。
 ……教室に落ちていた聖歌のスマホだ。

「聖歌のお題は、送信者が私とは違うわ」

「なんだそれ……?」

「ほら、これを見て頂戴」

 飛翔が美月の方へ駆け寄り、スマホを覗き込む。

「お題は"恋慕"……か」

 ──"恋慕"。そのお題はきっと、『恋心を伝えてはならない』。

 最期に、陽介は言ってた。『僕も聖歌のことが好きだ』って……それって、聖歌が陽介に告白したってことだ。

 私が、二人きりにして安心させてあげようなんて、その場凌ぎの考えをしなければ、聖歌は今も生きていたかもしれない……のに。

「っ……う……」

 全身の血の気が引き、冷や汗が吹き出す。喉元まで上ってきた吐き気を殺せず、私はアスファルトの上に胃の中身を戻してしまった。
 気持ち悪い……もう動きたくない。でも、動かないと……。

「……結月、大丈夫?」

「うん……」

 口の中に残る異物感がたまらなく忌まわしい。美月が歩み寄って来て、「口をすすぎましょう。歩ける?」と手を差し伸べてくれた。

 確か、近くの非常階段の辺りに、運動部がよく使う簡易的な手洗い場があったっけ……。

「小川君、愛音をお願い」

「おう」

 美月はよろめく私を支えながら、懐中電灯で足元を照らして非常階段まで誘導する。手洗い場の蛇口を捻り、私は異物感が消え去るまで、口を洗い流す。