火曜日の午後、6限が終わったあとの準備室。
「……コメ先生」
プリント整理をしていた手を止めると、角谷が扉のところに立っていた。
「今日、ちょっと話せる? 職員室じゃなくて……中庭、歩かない?」
「あ……はい」
空のプリントケースを置き、白衣を脱いでカゴに入れる。
心のどこかがざわついたまま、彼の後についていく。
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中庭。
部活帰りの生徒たちの笑い声が、遠くから聞こえる。
夕陽が、校舎の影を長く伸ばしていた。
「……最近、ちょっとだけ、元気ない気がする」
角谷が言った。
「そんなこと……ないですよ」
「そっか。でも、俺にはわかるよ。コメ先生、すぐ顔に出るから」
コメは、少し笑った。
「うそ、そんなことないです」
「あるよ。ほら、今も」
角谷の口調は、やさしかった。
そのやさしさに、胸の奥が少しだけチクリとした。
「角谷先生」
ふいに口を開いた。
「……私、今、自分の気持ちにちゃんと向き合いたいって思ってます。
でも、それがどういうことなのか、まだ言葉にならなくて……」
角谷はうなずいた。
「うん。大丈夫。……ちゃんと待つよ。
でも、無理して笑ったり、ごまかしたりはしないで。
俺は、そういうコメ先生のことも、好きだから」
風がふっと吹いた。
「ありがとうございます」
その言葉しか言えなかった。
——やさしさって、こんなにあたたかいのに、
ときどき、こんなにも苦しくなるんだ。
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その夜。
帰宅してからも、コメは眠れなかった。
スマホの画面をぼんやり見つめる。
連絡帳にある「渡部」という名前が、何度も目に入って、そして消えていく。
(私、どうしたいんだろう)
——気持ちは、もうきっと、どこかで決まっている。
でも、口にしてしまえば、すべてが変わってしまう。
分かってるから、怖い。



