バレンタイン当日。
渡部は職員室で静かにプリントの束を整理していた。教室の外では、女子たちがそわそわと廊下を行き来する音がする。
「せんせー!これチョコじゃなくて義理ですからね!ちゃんと義理って書いてありますから!」
「ん、ありがとう」
にこやかに受け取るが、視線はプリントから逸れない。
気にしていないようなふり。けれど心のどこかで——
(彼女からは、ない)
気づいていた。
コメが、角谷と過ごしていることも。
角谷の視線が、少しずつ何かを察しているようになっていることも。
そして——
今朝の職員室で、ちらっと見えた角谷の机に置かれていた小さな箱。
ピンクのリボンが、見覚えのある結び方だった。
(……もらったんだな)
誰も悪くない。
彼女を責める理由もない。
だけど、今日という日は、どうしてこんなにも静かなんだろう。
⸻
昼休み。
空いている理科準備室にこもって、渡部は一人でカップコーヒーを飲んでいた。
そこに、不意に現れたのは角谷だった。
「あ、どうも。ここ、使ってました?」
「いや、俺も少しだけ」
気まずい沈黙。
だが、角谷はそのまま、彼の隣の椅子に腰を下ろした。
「……この時期、疲れますよね。三年生の進路」
「まあ……特に、今年はドラマが多くてね」
「そうですか?」
カップのフタを外して、少し息をつく。
「生徒も、教師も。春を前にして、いろんなものと向き合わされる」
——まっすぐな目をしていた。
でも、何かを探るようなその眼差しに、渡部は気づいていた。
「角谷先生」
「はい」
「……今日、チョコもらいました?」
唐突に聞いた自分に驚きながらも、視線をそらさなかった。
角谷は、ふっと笑って答えた。
「……はい。いただきました」
「そうですか」
それ以上は、聞かなかった。
けれど、少しだけコーヒーが苦く感じた。
⸻
午後の授業が始まる前、渡部は窓から外を見ていた。
校庭で生徒たちが走る姿の中に、小さな笑い声とともに、コメが誰かと話しているのが見える。
柔らかく、あたたかい笑顔だった。
——あんな顔、俺にはもう向けられないのかもしれない。
背中を預けた壁が、今日はやけに冷たかった。
渡部は職員室で静かにプリントの束を整理していた。教室の外では、女子たちがそわそわと廊下を行き来する音がする。
「せんせー!これチョコじゃなくて義理ですからね!ちゃんと義理って書いてありますから!」
「ん、ありがとう」
にこやかに受け取るが、視線はプリントから逸れない。
気にしていないようなふり。けれど心のどこかで——
(彼女からは、ない)
気づいていた。
コメが、角谷と過ごしていることも。
角谷の視線が、少しずつ何かを察しているようになっていることも。
そして——
今朝の職員室で、ちらっと見えた角谷の机に置かれていた小さな箱。
ピンクのリボンが、見覚えのある結び方だった。
(……もらったんだな)
誰も悪くない。
彼女を責める理由もない。
だけど、今日という日は、どうしてこんなにも静かなんだろう。
⸻
昼休み。
空いている理科準備室にこもって、渡部は一人でカップコーヒーを飲んでいた。
そこに、不意に現れたのは角谷だった。
「あ、どうも。ここ、使ってました?」
「いや、俺も少しだけ」
気まずい沈黙。
だが、角谷はそのまま、彼の隣の椅子に腰を下ろした。
「……この時期、疲れますよね。三年生の進路」
「まあ……特に、今年はドラマが多くてね」
「そうですか?」
カップのフタを外して、少し息をつく。
「生徒も、教師も。春を前にして、いろんなものと向き合わされる」
——まっすぐな目をしていた。
でも、何かを探るようなその眼差しに、渡部は気づいていた。
「角谷先生」
「はい」
「……今日、チョコもらいました?」
唐突に聞いた自分に驚きながらも、視線をそらさなかった。
角谷は、ふっと笑って答えた。
「……はい。いただきました」
「そうですか」
それ以上は、聞かなかった。
けれど、少しだけコーヒーが苦く感じた。
⸻
午後の授業が始まる前、渡部は窓から外を見ていた。
校庭で生徒たちが走る姿の中に、小さな笑い声とともに、コメが誰かと話しているのが見える。
柔らかく、あたたかい笑顔だった。
——あんな顔、俺にはもう向けられないのかもしれない。
背中を預けた壁が、今日はやけに冷たかった。



