職員室の空気は、いつもより少しだけぴんと張っていた。
受験生を抱える教師たちの緊張が、じわじわと伝染してくる。
コーヒーを淹れていると、後ろから静かに声がした。
「渡部先生」
振り返ると、角谷だった。
いつになく真面目な表情で、進路関係の書類を持っている。
「ちょっと、これ……ご相談いいですか?」
「もちろん。あっち、空いてますよ」
資料室の一角に並んで腰を下ろす。
生徒の志望校、評定、併願先。
いつも通りの打ち合わせのはずだった。
でも——
「……最近、思うんです。生徒とちゃんと向き合うって、案外むずかしいなって」
角谷がぽつりと言った。
「話を聞いて、答えを出してあげても、それが正解かどうかはわからない。
結局、俺たちは……ただ、横で走るしかないのかなって」
その言葉に、渡部は手を止めた。
「……そうかもしれませんね」
そう答えながらも、どこか胸がざわついていた。
なぜだろう。角谷の声が、どこか遠くに感じる。
「でも、コメ先生は上手いですよね。生徒との距離の取り方。
信頼されてるし、……羨ましいくらいです」
「……そうですかね」
思わず、口の中で言葉が転がった。
その“羨ましい”には、どんな意味が込められていたんだろう。
会話が終わり、書類をまとめて席を立とうとしたとき。
角谷がふと、言葉を落とす。
「——先生は、誰かの“特別”になったこと、ありますか?」
「……」
聞き返す前に、角谷はもう笑っていた。
「冗談です」と、いつもの柔らかい調子で。
でも、冗談には聞こえなかった。
角谷の背中が職員室に戻っていくのを見送りながら、
渡部は湯気の消えかけたコーヒーに目を落とした。
(……何か、変わったか?)
はっきりとはわからない。
でも、どこかで歯車がかすかに音を立てて動いた気がしていた。
——もうすぐ、一年が終わる。
その終わりに、何が待っているのか。
まだ誰も、知らなかった。
受験生を抱える教師たちの緊張が、じわじわと伝染してくる。
コーヒーを淹れていると、後ろから静かに声がした。
「渡部先生」
振り返ると、角谷だった。
いつになく真面目な表情で、進路関係の書類を持っている。
「ちょっと、これ……ご相談いいですか?」
「もちろん。あっち、空いてますよ」
資料室の一角に並んで腰を下ろす。
生徒の志望校、評定、併願先。
いつも通りの打ち合わせのはずだった。
でも——
「……最近、思うんです。生徒とちゃんと向き合うって、案外むずかしいなって」
角谷がぽつりと言った。
「話を聞いて、答えを出してあげても、それが正解かどうかはわからない。
結局、俺たちは……ただ、横で走るしかないのかなって」
その言葉に、渡部は手を止めた。
「……そうかもしれませんね」
そう答えながらも、どこか胸がざわついていた。
なぜだろう。角谷の声が、どこか遠くに感じる。
「でも、コメ先生は上手いですよね。生徒との距離の取り方。
信頼されてるし、……羨ましいくらいです」
「……そうですかね」
思わず、口の中で言葉が転がった。
その“羨ましい”には、どんな意味が込められていたんだろう。
会話が終わり、書類をまとめて席を立とうとしたとき。
角谷がふと、言葉を落とす。
「——先生は、誰かの“特別”になったこと、ありますか?」
「……」
聞き返す前に、角谷はもう笑っていた。
「冗談です」と、いつもの柔らかい調子で。
でも、冗談には聞こえなかった。
角谷の背中が職員室に戻っていくのを見送りながら、
渡部は湯気の消えかけたコーヒーに目を落とした。
(……何か、変わったか?)
はっきりとはわからない。
でも、どこかで歯車がかすかに音を立てて動いた気がしていた。
——もうすぐ、一年が終わる。
その終わりに、何が待っているのか。
まだ誰も、知らなかった。



