校長室に差し込む西日が、静かに机を照らしていた。
窓の外では、部活動を終えた生徒たちの声が遠くに響いている。
佐伯校長は、湯呑みの茶をそっと置き、進路資料に目を通していた。
「三年の進学希望……角谷、丁寧にまとめてるな」
ふと漏れた独り言。
角谷の名前を見ると、自然と、隣に並ぶ“ある名前”が思い浮かぶ。
——羽多野コメ先生。
若くして生徒からの信頼も厚く、
担任としても補講担当としても、申し分ない働きぶり。
「惜しいなぁ……本当に、惜しい」
声に出すと、苦笑が混じった。
異動の希望は、まだ提出されていない。
けれど、佐伯にはわかっていた。
このままでは、彼女は“出すことになる”だろう。
(気付いている。角谷とのこと)
それが公になった瞬間、この学校での立場は続かなくなる。
“風紀”のため、“誤解”を避けるため——学校という場所では、恋愛よりも“形”が優先される。
(けれど)
佐伯は、数年前、卒業アルバムを開いたときのことを思い出していた。
体育館の端で、まっすぐ前を見つめるひとりの女子生徒。
そして、その背後。教壇に立つ、若き数学教師。
——あれは、偶然だろうか。
——それとも、何かの始まりだったのか。
「……教師も人間だからなあ」
ポツリと漏らした言葉が、自分の中に深く沈んでいく。
教師としての責任。
大人としてのけじめ。
でも——
(“あの子”が、教師になって戻ってきた理由を、私は知ってる)
そう思うたびに、簡単には「異動だね」と言えなかった。
ピンポーン、と来客のチャイムが鳴った。
「失礼します、三年の進路の件で——」
現れたのは、角谷だった。
「おう、角谷先生。タイミングいいね。ちょっと、座ってくれる?」
「……はい?」
茶を差し出しながら、佐伯はふと問う。
「角谷先生。君は……今の職場、どう思ってる?」
「え?……あ、はい。すごく働きやすいです。いい学校ですし」
「そうか……そうか」
目を伏せた校長の表情には、どこか苦悩が滲んでいた。
(私も、知らないふりをすることができるだろうか)
そう問いながら、佐伯は、進路資料の下にあるもう一枚の紙に目を落とす。
そこには、まだ何も書かれていない——
羽多野コメの、異動希望書。
窓の外では、部活動を終えた生徒たちの声が遠くに響いている。
佐伯校長は、湯呑みの茶をそっと置き、進路資料に目を通していた。
「三年の進学希望……角谷、丁寧にまとめてるな」
ふと漏れた独り言。
角谷の名前を見ると、自然と、隣に並ぶ“ある名前”が思い浮かぶ。
——羽多野コメ先生。
若くして生徒からの信頼も厚く、
担任としても補講担当としても、申し分ない働きぶり。
「惜しいなぁ……本当に、惜しい」
声に出すと、苦笑が混じった。
異動の希望は、まだ提出されていない。
けれど、佐伯にはわかっていた。
このままでは、彼女は“出すことになる”だろう。
(気付いている。角谷とのこと)
それが公になった瞬間、この学校での立場は続かなくなる。
“風紀”のため、“誤解”を避けるため——学校という場所では、恋愛よりも“形”が優先される。
(けれど)
佐伯は、数年前、卒業アルバムを開いたときのことを思い出していた。
体育館の端で、まっすぐ前を見つめるひとりの女子生徒。
そして、その背後。教壇に立つ、若き数学教師。
——あれは、偶然だろうか。
——それとも、何かの始まりだったのか。
「……教師も人間だからなあ」
ポツリと漏らした言葉が、自分の中に深く沈んでいく。
教師としての責任。
大人としてのけじめ。
でも——
(“あの子”が、教師になって戻ってきた理由を、私は知ってる)
そう思うたびに、簡単には「異動だね」と言えなかった。
ピンポーン、と来客のチャイムが鳴った。
「失礼します、三年の進路の件で——」
現れたのは、角谷だった。
「おう、角谷先生。タイミングいいね。ちょっと、座ってくれる?」
「……はい?」
茶を差し出しながら、佐伯はふと問う。
「角谷先生。君は……今の職場、どう思ってる?」
「え?……あ、はい。すごく働きやすいです。いい学校ですし」
「そうか……そうか」
目を伏せた校長の表情には、どこか苦悩が滲んでいた。
(私も、知らないふりをすることができるだろうか)
そう問いながら、佐伯は、進路資料の下にあるもう一枚の紙に目を落とす。
そこには、まだ何も書かれていない——
羽多野コメの、異動希望書。



