新学期初日。冷たい空気の中にも、どこか新しい空気が漂っていた。
校舎の入り口をくぐると、生徒たちのざわめきと、雪解け水のしずくが重なるように響く。
***
寒さのなかにも、どこか少しだけ柔らかな風が混じってきた昼下がり。
職員室には、進路資料を広げた先生たちの会話が飛び交っていた。
「推薦の結果、また来週ですね」
「3年生、今年は全体的に安定してるって学年主任が言ってましたよ」
コメは、印刷したばかりの進路資料を手に、自分の席へ戻った。
ふと、向かいの席を見る。
渡部は、ノートPCに目を落としながらも、時々生徒の提出物に赤を入れていた。
(変わらないな……そういうとこ)
——でも、たぶん私の方は、変わってしまったんだろう。
***
放課後、空がオレンジ色に染まりはじめたころ。
進路指導の会議が終わって、コメはふうっと息を吐いた。
「コメ先生、ちょっといい?」
振り返ると、角谷がファイルを抱えて立っていた。
「3年の子の志望先、今ちょっと迷っててさ。理系のことで、渡部先生にも一緒に聞いてみようかなって」
「あ、はい」
三人で向かった進路指導室には、すでに夕日が差し込んでいた。
「これ……志望先、ちょっと無理させてるかな」
そう言いながら、角谷は生徒の模試結果の資料を机に置いた。
「無理じゃないですよ。でも、たぶん、本人は自信なくしてる」
渡部が口を開いた。
「模試は、現実。でも、最後の伸びって、そこからなんですよね。ここからどう声かけるか、ですね」
その言葉に、コメははっとした。
昔、渡部が言っていた。
「結果より、矢印の向きが変わる瞬間が一番大事だ」
あの頃は、なんとなくしかわからなかった言葉が、今になって沁みる。
「……さすがですね」
ふいに角谷が笑って、渡部の肩を軽く叩いた。
「前からそういうとこ、うまいよね」
「いや……ただの数学教師ですよ」
そう言って苦笑する渡部の目が、一瞬だけ、コメの方を見た気がした。
***
帰り道、コメは職員玄関で角谷と並んで靴を履いた。
「渡部先生ってさ、ああ見えて、生徒のことよく見てるよね」
「……そうですね」
「……君も、ああやって見てもらってた?」
その問いに、コメはふと足を止めた。
「……どうでしょうね」
笑ってごまかしたけど、胸の奥が少しだけちくりとした。
角谷の問いが、冗談じゃなかったことに、気づいていた。
——“昔”に踏み込む言葉だったから。
だけど、まだそこには触れられない。
まだ、“今”の関係を、崩したくないから。
春は、すぐそこまで来ていた。
校舎の入り口をくぐると、生徒たちのざわめきと、雪解け水のしずくが重なるように響く。
***
寒さのなかにも、どこか少しだけ柔らかな風が混じってきた昼下がり。
職員室には、進路資料を広げた先生たちの会話が飛び交っていた。
「推薦の結果、また来週ですね」
「3年生、今年は全体的に安定してるって学年主任が言ってましたよ」
コメは、印刷したばかりの進路資料を手に、自分の席へ戻った。
ふと、向かいの席を見る。
渡部は、ノートPCに目を落としながらも、時々生徒の提出物に赤を入れていた。
(変わらないな……そういうとこ)
——でも、たぶん私の方は、変わってしまったんだろう。
***
放課後、空がオレンジ色に染まりはじめたころ。
進路指導の会議が終わって、コメはふうっと息を吐いた。
「コメ先生、ちょっといい?」
振り返ると、角谷がファイルを抱えて立っていた。
「3年の子の志望先、今ちょっと迷っててさ。理系のことで、渡部先生にも一緒に聞いてみようかなって」
「あ、はい」
三人で向かった進路指導室には、すでに夕日が差し込んでいた。
「これ……志望先、ちょっと無理させてるかな」
そう言いながら、角谷は生徒の模試結果の資料を机に置いた。
「無理じゃないですよ。でも、たぶん、本人は自信なくしてる」
渡部が口を開いた。
「模試は、現実。でも、最後の伸びって、そこからなんですよね。ここからどう声かけるか、ですね」
その言葉に、コメははっとした。
昔、渡部が言っていた。
「結果より、矢印の向きが変わる瞬間が一番大事だ」
あの頃は、なんとなくしかわからなかった言葉が、今になって沁みる。
「……さすがですね」
ふいに角谷が笑って、渡部の肩を軽く叩いた。
「前からそういうとこ、うまいよね」
「いや……ただの数学教師ですよ」
そう言って苦笑する渡部の目が、一瞬だけ、コメの方を見た気がした。
***
帰り道、コメは職員玄関で角谷と並んで靴を履いた。
「渡部先生ってさ、ああ見えて、生徒のことよく見てるよね」
「……そうですね」
「……君も、ああやって見てもらってた?」
その問いに、コメはふと足を止めた。
「……どうでしょうね」
笑ってごまかしたけど、胸の奥が少しだけちくりとした。
角谷の問いが、冗談じゃなかったことに、気づいていた。
——“昔”に踏み込む言葉だったから。
だけど、まだそこには触れられない。
まだ、“今”の関係を、崩したくないから。
春は、すぐそこまで来ていた。



