先生×秘密 〜season2

放課後の進路会議が終わり、静かになった進路指導室に、角谷は一人残っていた。

机の上には、三者面談の資料、志望校リスト、各教科からの所見プリント——。 受験直前の3年担任のデスクは、毎年この時期になると、何かを押し込めるように忙しくなる。

けれど今日は、少しだけ違った。

「……まだいたんですね」

背後からかけられた声に、角谷は顔を上げた。
ドアのところに、渡部が立っていた。

「進路相談、やっぱりこの時期になると神経使いますね」
角谷が苦笑いでこたえると、渡部は「まあ、そうでしょうね」と椅子を引いて隣に座った。

「俺も一応、3年の選択授業、少し持ってるんですけど……受験って、先生が思ってるより、生徒には“人生の分岐点”なんですね」

「ええ……その分、責任も大きいですけど」

ふと、角谷は視線を落としたまま、ひとつ深呼吸した。

「……今日、生徒と話してて思ったんです。進路って、結局は“その人自身が何を大事にしてるか”に尽きるって」

「正解はないですからね」

渡部の言葉は、ゆっくりと落ちてきた。

「俺……、まだ悩んでる生徒に、何か“導く言葉”をかけられてない気がして。正直、苦しいです」

すると渡部は、少しだけ笑ってこう言った。

「コメ先生に相談してみたらどうです? 向いてますよ、ああいうの」

角谷の目が、ふと揺れた。

「……そう見えます?」

「見えます」

即答だった。迷いも、嘘もなかった。

角谷は数秒、無言で視線を机の資料に戻した。

「……実は今日の面談で、ある生徒が『先生の顔色をうかがってしまう』って言ったんです」

「気にされてるってことじゃないですか。それ、先生がちゃんと“生徒の顔”を見てるってことです」

静かな、でも確かな口調だった。

その言葉に、角谷の胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
こうして誰かに言葉を向けてもらうことが、どれだけ力になるのか、身に染みてわかる。

「……ありがとうございます。ほんと、今日は救われました」

「いいえ」

渡部は立ち上がって、資料の山に目をやった。

「受験まで、あと少しですね」

「ですね」

ふたりの間に、少しの沈黙。けれど、それは心地のいい静けさだった。

「じゃあ、お先に失礼します」

ドアが閉まり、ひとりになった進路指導室に、紙をめくる音だけが静かに響いた。

角谷はしばらく、その資料の山を見つめていた。

——渡部という人は、不思議だ。

無駄な言葉は少ないのに、まっすぐに届くものを持っている。

それが、ただの“同僚”としてなのか——それとも。

そんな思考を、角谷はそっと打ち消した。