放課後の進路会議が終わり、静かになった進路指導室に、角谷は一人残っていた。
机の上には、三者面談の資料、志望校リスト、各教科からの所見プリント——。 受験直前の3年担任のデスクは、毎年この時期になると、何かを押し込めるように忙しくなる。
けれど今日は、少しだけ違った。
「……まだいたんですね」
背後からかけられた声に、角谷は顔を上げた。
ドアのところに、渡部が立っていた。
「進路相談、やっぱりこの時期になると神経使いますね」
角谷が苦笑いでこたえると、渡部は「まあ、そうでしょうね」と椅子を引いて隣に座った。
「俺も一応、3年の選択授業、少し持ってるんですけど……受験って、先生が思ってるより、生徒には“人生の分岐点”なんですね」
「ええ……その分、責任も大きいですけど」
ふと、角谷は視線を落としたまま、ひとつ深呼吸した。
「……今日、生徒と話してて思ったんです。進路って、結局は“その人自身が何を大事にしてるか”に尽きるって」
「正解はないですからね」
渡部の言葉は、ゆっくりと落ちてきた。
「俺……、まだ悩んでる生徒に、何か“導く言葉”をかけられてない気がして。正直、苦しいです」
すると渡部は、少しだけ笑ってこう言った。
「コメ先生に相談してみたらどうです? 向いてますよ、ああいうの」
角谷の目が、ふと揺れた。
「……そう見えます?」
「見えます」
即答だった。迷いも、嘘もなかった。
角谷は数秒、無言で視線を机の資料に戻した。
「……実は今日の面談で、ある生徒が『先生の顔色をうかがってしまう』って言ったんです」
「気にされてるってことじゃないですか。それ、先生がちゃんと“生徒の顔”を見てるってことです」
静かな、でも確かな口調だった。
その言葉に、角谷の胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
こうして誰かに言葉を向けてもらうことが、どれだけ力になるのか、身に染みてわかる。
「……ありがとうございます。ほんと、今日は救われました」
「いいえ」
渡部は立ち上がって、資料の山に目をやった。
「受験まで、あと少しですね」
「ですね」
ふたりの間に、少しの沈黙。けれど、それは心地のいい静けさだった。
「じゃあ、お先に失礼します」
ドアが閉まり、ひとりになった進路指導室に、紙をめくる音だけが静かに響いた。
角谷はしばらく、その資料の山を見つめていた。
——渡部という人は、不思議だ。
無駄な言葉は少ないのに、まっすぐに届くものを持っている。
それが、ただの“同僚”としてなのか——それとも。
そんな思考を、角谷はそっと打ち消した。
机の上には、三者面談の資料、志望校リスト、各教科からの所見プリント——。 受験直前の3年担任のデスクは、毎年この時期になると、何かを押し込めるように忙しくなる。
けれど今日は、少しだけ違った。
「……まだいたんですね」
背後からかけられた声に、角谷は顔を上げた。
ドアのところに、渡部が立っていた。
「進路相談、やっぱりこの時期になると神経使いますね」
角谷が苦笑いでこたえると、渡部は「まあ、そうでしょうね」と椅子を引いて隣に座った。
「俺も一応、3年の選択授業、少し持ってるんですけど……受験って、先生が思ってるより、生徒には“人生の分岐点”なんですね」
「ええ……その分、責任も大きいですけど」
ふと、角谷は視線を落としたまま、ひとつ深呼吸した。
「……今日、生徒と話してて思ったんです。進路って、結局は“その人自身が何を大事にしてるか”に尽きるって」
「正解はないですからね」
渡部の言葉は、ゆっくりと落ちてきた。
「俺……、まだ悩んでる生徒に、何か“導く言葉”をかけられてない気がして。正直、苦しいです」
すると渡部は、少しだけ笑ってこう言った。
「コメ先生に相談してみたらどうです? 向いてますよ、ああいうの」
角谷の目が、ふと揺れた。
「……そう見えます?」
「見えます」
即答だった。迷いも、嘘もなかった。
角谷は数秒、無言で視線を机の資料に戻した。
「……実は今日の面談で、ある生徒が『先生の顔色をうかがってしまう』って言ったんです」
「気にされてるってことじゃないですか。それ、先生がちゃんと“生徒の顔”を見てるってことです」
静かな、でも確かな口調だった。
その言葉に、角谷の胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
こうして誰かに言葉を向けてもらうことが、どれだけ力になるのか、身に染みてわかる。
「……ありがとうございます。ほんと、今日は救われました」
「いいえ」
渡部は立ち上がって、資料の山に目をやった。
「受験まで、あと少しですね」
「ですね」
ふたりの間に、少しの沈黙。けれど、それは心地のいい静けさだった。
「じゃあ、お先に失礼します」
ドアが閉まり、ひとりになった進路指導室に、紙をめくる音だけが静かに響いた。
角谷はしばらく、その資料の山を見つめていた。
——渡部という人は、不思議だ。
無駄な言葉は少ないのに、まっすぐに届くものを持っている。
それが、ただの“同僚”としてなのか——それとも。
そんな思考を、角谷はそっと打ち消した。



