「では、お入りください」
角谷がやわらかく言うと、面談室のドアが開き、ひと組の親子が入ってきた。
生徒は赤井(あかい)くん。成績は上位。おとなしいが、内に芯の強さを持った子だ。
角谷の隣には、進路担当の補佐として渡部が座っている。
三者面談期間は、ふたりの“ペア”で何件もこなしてきた。
そして、いよいよ最後の生徒。
母親が先に頭を下げ、少し遅れて赤井くんもぺこりと頭を下げる。
「お時間いただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそお越しいただいて。赤井くん、今日はよろしくね」
「……はい」
微かに緊張の色が混じる声。
「赤井くんは、理工学部を志望してるんですよね?」
「はい。第一志望は国立の工学部です」
角谷がプリントを広げながら言うと、隣の渡部が補足する。
「数理系のセンスがある。特に空間把握と、物理的な思考の柔軟さが印象的でした」
「……ありがとうございます」
「……ただ」
母親の声が少し硬くなる。
「本人は、建築にも興味があるようなんです。でも、将来食べていくには、もう少し堅実な方向を考えたほうがいいのではと……」
「はい、就職のことなどを考えると、親御さんが心配される気持ちはよくわかります」
角谷の声は、どこまでも穏やかだった。
「ただ、赤井くんが“やってみたい”という気持ちを持っているなら、そこから話を広げることもできると思います。たとえば、応用物理を経由して建築構造の道へ進む方法もありますし……」
言葉を重ねながら、赤井の顔を見る。
その横で、渡部がふっと小さく笑った。
「実は僕も、教職と建築とで迷ったことがあるんです」
「えっ、そうなんですか?」
母親が意外そうに目を見開いた。
「はい。進路って、“一度しか選べない”ようでいて、道は一本じゃないんです。たとえば途中で方向転換することもできるし、ひとつの選択肢から複数の可能性をひらくこともできる」
「そう……なんですね」
「それでも、どうして教職を選んだかっていうと……」
ふと、渡部の言葉が止まる。
ほんの一瞬、目の前にいる誰でもなく、どこか遠くを見ていた。
「……まあ、それはまた、別の機会に」
「え?」
「冗談です」
場が和み、赤井くんの表情がすこし緩んだ。
その変化を見逃さず、角谷は笑って言った。
「いい進路が見つかりそうですね。焦らず、でもしっかり考えていきましょう」
三者面談は無事に終わった。
***
帰り際、角谷が小さな声でつぶやいた。
「……俺、やっぱり進路指導、苦手かもって思う時あるんですよね」
「そうですか?」
「いつも、“今ここにいること”ばかり考えてしまって。生徒たちみたいに、“先の景色”を見る視点が、まだ自分にはないのかもなって」
渡部はほんの少し口元をゆるめた。
「先を見て不安になるのは、生徒だけじゃないですから。……僕だってそうです」
「……ありがとうございます」
その言葉のあと、ふたりの間にしばらく沈黙が落ちた。
だがその静けさは、不思議と心地よかった。
角谷がやわらかく言うと、面談室のドアが開き、ひと組の親子が入ってきた。
生徒は赤井(あかい)くん。成績は上位。おとなしいが、内に芯の強さを持った子だ。
角谷の隣には、進路担当の補佐として渡部が座っている。
三者面談期間は、ふたりの“ペア”で何件もこなしてきた。
そして、いよいよ最後の生徒。
母親が先に頭を下げ、少し遅れて赤井くんもぺこりと頭を下げる。
「お時間いただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそお越しいただいて。赤井くん、今日はよろしくね」
「……はい」
微かに緊張の色が混じる声。
「赤井くんは、理工学部を志望してるんですよね?」
「はい。第一志望は国立の工学部です」
角谷がプリントを広げながら言うと、隣の渡部が補足する。
「数理系のセンスがある。特に空間把握と、物理的な思考の柔軟さが印象的でした」
「……ありがとうございます」
「……ただ」
母親の声が少し硬くなる。
「本人は、建築にも興味があるようなんです。でも、将来食べていくには、もう少し堅実な方向を考えたほうがいいのではと……」
「はい、就職のことなどを考えると、親御さんが心配される気持ちはよくわかります」
角谷の声は、どこまでも穏やかだった。
「ただ、赤井くんが“やってみたい”という気持ちを持っているなら、そこから話を広げることもできると思います。たとえば、応用物理を経由して建築構造の道へ進む方法もありますし……」
言葉を重ねながら、赤井の顔を見る。
その横で、渡部がふっと小さく笑った。
「実は僕も、教職と建築とで迷ったことがあるんです」
「えっ、そうなんですか?」
母親が意外そうに目を見開いた。
「はい。進路って、“一度しか選べない”ようでいて、道は一本じゃないんです。たとえば途中で方向転換することもできるし、ひとつの選択肢から複数の可能性をひらくこともできる」
「そう……なんですね」
「それでも、どうして教職を選んだかっていうと……」
ふと、渡部の言葉が止まる。
ほんの一瞬、目の前にいる誰でもなく、どこか遠くを見ていた。
「……まあ、それはまた、別の機会に」
「え?」
「冗談です」
場が和み、赤井くんの表情がすこし緩んだ。
その変化を見逃さず、角谷は笑って言った。
「いい進路が見つかりそうですね。焦らず、でもしっかり考えていきましょう」
三者面談は無事に終わった。
***
帰り際、角谷が小さな声でつぶやいた。
「……俺、やっぱり進路指導、苦手かもって思う時あるんですよね」
「そうですか?」
「いつも、“今ここにいること”ばかり考えてしまって。生徒たちみたいに、“先の景色”を見る視点が、まだ自分にはないのかもなって」
渡部はほんの少し口元をゆるめた。
「先を見て不安になるのは、生徒だけじゃないですから。……僕だってそうです」
「……ありがとうございます」
その言葉のあと、ふたりの間にしばらく沈黙が落ちた。
だがその静けさは、不思議と心地よかった。



