職員室の夕方は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
カタカタとタイピング音だけが続く中、角谷はプリントの束を前に眉をひそめていた。
3年生の進路希望調査票。すでに二巡目に入っているというのに、未提出者がまだ数人。
「もう……この時期に“迷ってます”じゃ困るんだってば……」
思わずこぼれた声に、隣の席のコメが顔を上げる。
「まだ出してない子、多いんですか?」
「うん、進学と就職のはざまで揺れてる子もいるし。親御さんの意向が強い子もいるし……。あと、A組の三橋くん。迷走中」
「あー……三橋くん。私、1年のとき持ってました。頑固だけど、根はまじめでいい子です」
そんなふうに笑うコメに、角谷はふっと目を細める。
「やっぱり、コメ先生、よく見てるね」
そのときだった。
「三橋くん、なら……今日の5限、ちょっと話しましたよ」
声の主は、向かいの席に座っていた渡部だった。
手元の資料から目を離さず、静かに言葉を継ぐ。
「“将来、教育の道に進みたいけど、親に現実見ろって言われた”って。珍しく弱音吐いてた」
「……そうだったんですね」
角谷の表情がやや険しくなる。
「先生、3年の授業も担当されてるんでしたっけ?」
「はい、選択数学の補講枠で。三橋くん、そこに来てます」
しばらく沈黙があった。
「もしよければ……三者面談の前に、軽く話を聞いてやってくれませんか? 進路のこと、俺と二人より、第三者がいた方が冷静に話せるかもしれません」
「了解です。スケジュール出してもらえれば、あわせます」
そんな会話が交わされている間、コメは静かに、筆箱のファスナーをいじっていた。
穏やかな会話。真っ当な進路相談。
だけど、どこかに走る緊張感は、明らかに“仕事”だけじゃなかった。
「じゃあ……A組の放課後面談、仮で水曜にしておきますね。先に調整しておきます」
「助かります」
角谷はそう言って一礼したあと、視線をコメに向けた。
コメはかすかに微笑んで見せた。
けれどその横で、渡部がペンを止める気配を感じて、なぜか胸の奥がざわついた。
見えない温度。重ならない言葉。
「大人」は、仕事を盾に、たくさんのことを隠す。
でも、その背中から漏れる“気配”までは、誰にも隠しきれない。
カタカタとタイピング音だけが続く中、角谷はプリントの束を前に眉をひそめていた。
3年生の進路希望調査票。すでに二巡目に入っているというのに、未提出者がまだ数人。
「もう……この時期に“迷ってます”じゃ困るんだってば……」
思わずこぼれた声に、隣の席のコメが顔を上げる。
「まだ出してない子、多いんですか?」
「うん、進学と就職のはざまで揺れてる子もいるし。親御さんの意向が強い子もいるし……。あと、A組の三橋くん。迷走中」
「あー……三橋くん。私、1年のとき持ってました。頑固だけど、根はまじめでいい子です」
そんなふうに笑うコメに、角谷はふっと目を細める。
「やっぱり、コメ先生、よく見てるね」
そのときだった。
「三橋くん、なら……今日の5限、ちょっと話しましたよ」
声の主は、向かいの席に座っていた渡部だった。
手元の資料から目を離さず、静かに言葉を継ぐ。
「“将来、教育の道に進みたいけど、親に現実見ろって言われた”って。珍しく弱音吐いてた」
「……そうだったんですね」
角谷の表情がやや険しくなる。
「先生、3年の授業も担当されてるんでしたっけ?」
「はい、選択数学の補講枠で。三橋くん、そこに来てます」
しばらく沈黙があった。
「もしよければ……三者面談の前に、軽く話を聞いてやってくれませんか? 進路のこと、俺と二人より、第三者がいた方が冷静に話せるかもしれません」
「了解です。スケジュール出してもらえれば、あわせます」
そんな会話が交わされている間、コメは静かに、筆箱のファスナーをいじっていた。
穏やかな会話。真っ当な進路相談。
だけど、どこかに走る緊張感は、明らかに“仕事”だけじゃなかった。
「じゃあ……A組の放課後面談、仮で水曜にしておきますね。先に調整しておきます」
「助かります」
角谷はそう言って一礼したあと、視線をコメに向けた。
コメはかすかに微笑んで見せた。
けれどその横で、渡部がペンを止める気配を感じて、なぜか胸の奥がざわついた。
見えない温度。重ならない言葉。
「大人」は、仕事を盾に、たくさんのことを隠す。
でも、その背中から漏れる“気配”までは、誰にも隠しきれない。



