先生×秘密 〜season2

金曜の夜。
週の終わりの疲れが、肩にずしりと乗る帰り道。

コメはスマホをいじるふりをしながら、駅の階段をゆっくり下りていた。

——角谷先生とは、うまくやってる。
——話も合うし、優しい。仕事も真面目で、誠実。

でも——。

エスカレーターに乗ったとき、渡部のLINEがまたふと浮かんだ。

【安心した】
その言葉の意味が、ずっと頭の片隅を離れない。

コメは、電車に揺られながら思った。

(先生にとって、私は“何かに安心させる存在”でいたいのかな……)

***

土曜の午後。
買い出し帰りのコメは、商店街の路地でふと立ち止まった。

小さな古本屋の前。
風に揺れる暖簾の向こうに、背の高い男性が見えた。

渡部だった。

白シャツに黒のカーディガン。
本を手に取って、立ち読みしている。

気づかれないように踵を返そうとした瞬間——

「……コメ」

呼ばれた。

逃げられない。
というより、逃げようとも思わなかった。

「先生、週末は本屋巡りですか?」

「まぁ、暇なんでな」

「……誰かと、じゃなくて?」

「今の俺に、“誰か”って選択肢、あると思うか?」

そんなふうに返されたことに、一瞬言葉をなくす。

でも、その目はやわらかくて、どこか悲しかった。

***

喫茶店で、アイスコーヒーを前に、ふたりは向かい合っていた。

「……コメ、この間校長先生に異動の事話してた?」

「そう。来年の話になったから、
軽くでも伝えておいた方がいいかなと思って。異動を考えてますくらいだけどね。」


「角谷先生のこと、どう思ってる?」

コメは、ストローを持つ手を止めた。

「……ちゃんと、考えてますよ」

「“ちゃんと”って言うとき、目が泳ぐ癖、まだあるんだな」

コメは笑った。

「先生、相変わらず意地悪」

渡部は何も言わず、コーヒーに口をつける。

その沈黙が、心地よくて、でも苦しい。

この人は、いまも何も言わない。
それでも、ずっとなにかを見透かしている。

それが、昔からずっと、怖くて、好きだった。

***

夜。

帰りの電車で、スマホを開く。
角谷からの未読メッセージが一件だけ光っている。

だけど、開かずに、そっと画面を伏せた。

***

そして、同じ夜。

渡部は部屋のベランダで、ひとり煙草を吸っていた。

静かな風が頬を撫でる。

——コメの横に、誰かがいてくれたほうがいいと、
 本気で思ってたはずだった。

けれど。

「安心してる場合かよ……」


煙が夜にとけていった。