夕暮れ、理科室の窓辺に立つと、校庭の隅でサッカーボールが転がる音がかすかに聞こえた。
一日の終わりを告げるような茜色の光が、ガラスに伸びた自分の影を長くする。
——静かなのに、うるさい。
胸の奥のざわめきが、ずっと止まらなかった。
昼休み、印刷室に行こうとした。
ただ、明日のテストの答案をコピーしようと、いつものように。
けれど、開けかけたドアの向こうで聞こえた、コメの声。
《大切な存在》
その言葉に続く、角谷の柔らかい笑い声。
ドアの前で、息を潜めた自分がいた。
入りかけた足が、動かなかった。
——何をしてるんだ。
プリントを手に持ったまま、別の廊下を歩いた。
同じ足音のリズムで、過去の記憶が胸を叩いた。
「会いたかった」
言ったのは自分だった。
でもあの時、あの窓辺で、彼女は答えなかった。
それが答えだったのかもしれない。
けれど、教室ですれ違うたび、プリントを渡すたび、
たった数秒の会話のなかに、昔と変わらない温度を感じてしまう。
……自分だけ、なのかもしれないが。
「はあ……」
誰もいない理科室で、椅子に深く腰を下ろす。
コメは、ちゃんと大人になっていた。
もう「先生に片想いする生徒」ではない。
でも、だからこそ、
あの頃の彼女の矢印が、まだ見えていた気がする自分が、少しだけ怖かった。
あれは、昔のことだったのか。
それとも、まだ、どこかに続いているのか。
——どちらにせよ、彼女はもう誰かのものだ。
「……やっかいだな」
目を閉じた。
どうやって、彼女を“ただの同僚”として見られるだろう。
それとも──
——彼女が、ほんとうに大人になってしまったから、
自分の中の“あの頃”が、いまになって疼いているだけなのか。
それすら、わからなかった。
答案用紙の束を持ち直し、渡部は無言でペンを走らせた。
窓の外に落ちる光が、ゆっくりと、消えていく。
一日の終わりを告げるような茜色の光が、ガラスに伸びた自分の影を長くする。
——静かなのに、うるさい。
胸の奥のざわめきが、ずっと止まらなかった。
昼休み、印刷室に行こうとした。
ただ、明日のテストの答案をコピーしようと、いつものように。
けれど、開けかけたドアの向こうで聞こえた、コメの声。
《大切な存在》
その言葉に続く、角谷の柔らかい笑い声。
ドアの前で、息を潜めた自分がいた。
入りかけた足が、動かなかった。
——何をしてるんだ。
プリントを手に持ったまま、別の廊下を歩いた。
同じ足音のリズムで、過去の記憶が胸を叩いた。
「会いたかった」
言ったのは自分だった。
でもあの時、あの窓辺で、彼女は答えなかった。
それが答えだったのかもしれない。
けれど、教室ですれ違うたび、プリントを渡すたび、
たった数秒の会話のなかに、昔と変わらない温度を感じてしまう。
……自分だけ、なのかもしれないが。
「はあ……」
誰もいない理科室で、椅子に深く腰を下ろす。
コメは、ちゃんと大人になっていた。
もう「先生に片想いする生徒」ではない。
でも、だからこそ、
あの頃の彼女の矢印が、まだ見えていた気がする自分が、少しだけ怖かった。
あれは、昔のことだったのか。
それとも、まだ、どこかに続いているのか。
——どちらにせよ、彼女はもう誰かのものだ。
「……やっかいだな」
目を閉じた。
どうやって、彼女を“ただの同僚”として見られるだろう。
それとも──
——彼女が、ほんとうに大人になってしまったから、
自分の中の“あの頃”が、いまになって疼いているだけなのか。
それすら、わからなかった。
答案用紙の束を持ち直し、渡部は無言でペンを走らせた。
窓の外に落ちる光が、ゆっくりと、消えていく。



