放課後の図書室は、ひんやりと静かだった。
窓から差す光が、本棚の影を長く引いている。その一角、閲覧スペースにコメと渡部は並んで座っていた。
「……え、てことは、ここの答え5じゃないですか?」
「お、気づいた。いいね。問題の意図に気づけるのは成長してる証拠」
「うわー、言い方うまい。伸ばされてる感じする」
「言葉って武器だからね」
渡部は、ふっと笑ってペンを置いた。
静かに時間が流れていく。質問が終わっても、コメは席を立たなかった。
「……先生って、いつも静かですよね」
「うるさいよりはいいでしょ」
「でも、なんか……たまに、声に救われることあるなって」
そう言ったあと、自分でも照れくさくなって、机の上のペンに視線を落とす。
「……そっちはどうなんだ」
「え?」
「角谷先生と、最近」
一瞬、空気が動いた気がした。
「別に変わりないですよ?」
あっさりとした口調。でも、その奥にあるものは、渡部にも届いていた。
「……そうか」
「……先生は、どうして誰とも近づかないんですか?」
問いかけると、彼はほんの少しだけ視線を動かした。
「……自分を見失うから」
「見失ってもいいじゃないですか」
「いや、教師だから。……って言い訳かな」
少し笑ったあと、渡部はまっすぐにコメのほうを見た。
「それに……お前が近づいてくるだけで、十分ぐらぐらするから」
その言葉に、心の奥がかすかに揺れた。
けれど、同時に胸がちくりと痛んだ。
——今、自分がいるこの距離は、誰かの優しさを裏切っているかもしれない。
ふと、廊下のほうから生徒たちの笑い声が聞こえた。
日常が戻ってくる。なのに、心はその場に留まったままだ。
「……私、そろそろ戻ります」
「うん。プリント、ありがとな」
「こちらこそ、ありがとうございました。数学、すごく、分かりやすかったです」
立ち上がるとき、ほんの一瞬、手が触れた。
触れたのは、ほんの一瞬だったのに——その感覚は、胸の奥で長く続いた。



