職員室のコピー機の前。
A4の束を手にしたコメは、ふと隣の人影に気づいた。
「……先生、それ、また丸つけですか?」
「期末前だからな。終わらん」
渡部は片手に赤ペン、もう片手に問題用紙を持っていた。
いつも通りの、ぶっきらぼうで無駄のない動き。
「……あの、じゃあ、手伝いますよ。得意分野だけ」
「……報酬は?」
ふっと、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「えー、報酬? お昼ご飯でどうです?」
「学食ならパス」
「じゃあ……私の手作りお弁当?」
その一言に、渡部の手が一瞬止まった。
だけど、顔は上げずにポツリと。
「……それは、罰ゲームか?」
「ひどっ!!」
声を立てて笑ってから、コメは資料を抱えて自分の席へ戻った。
……それでも、どこか嬉しかった。
***
昼休み。
職員室を抜けて、ふたりはいつもの準備室にいた。
「……なんかさ」
コメがぽつりと言う。
「最近、距離感おかしいですよね、私たち」
「おかしい、か?」
「おかしいでしょ。生徒が見たら“えっ付き合ってるん?”ってなりますよ」
「そう見えるか?」
渡部は、どこか探るような目でコメを見た。
コメは慌てて言葉を濁す。
「……まぁ、距離、近いなって。職員室でも、こうしてる時も」
「それが嫌か?」
「……」
ふと、目が合った。
その一瞬、体温が上がるのがわかった。
「……嫌じゃない、です」
息を吐くように言ったその言葉が、意外と大きく響いた気がした。
渡部は視線を逸らし、少し笑った。
「俺は……“先生と距離が近い”って、言われ慣れてないからな」
「私も、“数学の先生と距離が近い”って、ちょっと想像してなかったです」
「数学関係ないだろ」
「あります。理系は合理主義者が多いんで!」
「俺は、矛盾だらけだぞ」
その言葉に、コメは少しだけ真顔になった。
「……それでも、好きになったのは、先生でした」
渡部が何かを言いかけた時、生徒がノックしてきて、扉が開いた。
「すみません! コメ先生いますかー?」
「……はい、今行きます!」
慌てて立ち上がる。
でも、その前に一瞬だけ振り返った。
渡部の視線が、真っ直ぐこっちを見ていた。
——その距離感。
“近すぎるわけでもないけど、離れるには惜しい”そんな距離だった。



