履歴書の「職歴」欄を見つめたまま、ボールペンを握る手が止まっていた。

 (本当に、私の人生、うまくいかなかったな……)

 大学受験に失敗し、浪人も叶わず、フリーター生活。今は出版社の下請けで、Web記事を書く毎日。将来は見えない。貯金もない。
 それでも書くことだけは、なぜか手放さなかった。

 (──どうしてだろう)

 ふと、頭に浮かんだのは、中学三年の卒業式の日だった。

 

 その年の三月。
 体育館での式が終わったあと、遅れて満開になった校庭の桜の下で、遥は悠真に声をかけた。

 「ねえ、ちょっとだけ時間ある?」

 「うん、なに?」

 二人で並んで歩いたグラウンドの端。ベンチに座って、遥はいつものように、軽い調子で話し始めた。

 「レボル、来週で第二部完結なんだって。『星屑レボルシオン』、またひと区切り」

 「マジか。じゃあ……いよいよ『星屑の記憶』回、くるな」

 「うん……でね、悠真。ちょっと話あるの」

 「……うん」

 遥はほんの少しだけ、息を吸ってから言った。

 「私、進学校行くから、たぶん部活も辞めて勉強に専念すると思う。漫画も、読む余裕ないかも。だから……」

 言いよどんだ言葉の先を、悠真は待ってくれた。

 「だから……一度、ちゃんと、別れようと思ってる。私のわがままだって分かってる。でも……このまま中途半端にしたくないから」

 悠真は、黙って少しだけうつむいたあと、小さくうなずいた。

 「……そっか。遥が、そう思うなら、いいよ」

 そう言って、笑った。

 「……ちゃんと、応援する。遥なら、どこまでも行けるって思ってるから」

 「……ありがとう」

 言葉が、にじむように胸に残った。

 そして──

 「あのさ、最後にちょっとだけ言ってもいい?」

 「え?」

 「遥って、レボルの感想とか考察書くの、めちゃくちゃうまいし。言葉に力がある。……だからさ、書くことは、これからもやめないでほしい」

 そのときの彼の顔を、遥はずっと忘れられなかった。

 

 ──書くことをやめなかったのは、あの言葉のせいだった。

 ライターになる道は、決して順調ではなかった。
 でも、あのとき悠真がそう言ってくれなかったら、たぶん私は、文章にしがみついてこられなかった。

 (……あれが、私の「原点」だったんだ)

 

 遥は、空欄だった「自己PR」欄に、ゆっくりとペンを走らせた。

 

 その週、初めて本格的に挑んだ編集プロダクションの面接。
 「なぜ書くことを続けてきたのか」と聞かれたとき、遥は少し笑って答えた。

 「……中学のときに、友達に『言葉に力がある』って言われたことがあって。それが、ずっと支えで」

 「それ、大事ですね。誰かの言葉が、自分の道をつくってくれることってありますよ」

 

 面接を終えて外に出ると、春の光が差していた。

 翌日、スマホに届いたメールの件名には「内定通知」の文字があった。

 

 遥はすぐに悠真に電話をかけた。

 「──受かった! 受かったよ悠真!」

 「ほんと!? やったな遥!」

 声が、弾んでいた。昔と同じ、でも少し大人になった声で。

 「それでさ、会社名って……どこだった?」

 「原田編集プロダクション。なんか漫画案件も多くて」

 「……あー、知ってる。もしかしたら、今度驚くことになるかも」

 「え、なにそれ」

 「言えないけど、初出社、楽しみにしといて」

 その言葉に、遥は笑った。

 またきっと、あの頃みたいに──いや、あの頃とは違う形で。