そのメッセージは、午前十一時ちょうどに届いた。
スクロールバーが表示されるほどの長文だった。

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 遥へ

 昨日はありがとう。映画、すごくよかった。

 ……って、普通に始めたけど、たぶん、そういうテンションじゃないよね。
 俺も、なんか気まずかったし。帰り道、言葉が出てこなかった。

 でも、あのとき遥が言ったこと、ちゃんと受け取ったよ。
 「うまくいってる人には分からない」って。

 そう思わせてしまったのなら、俺の伝え方がきっと足りなかったんだと思う。

 だから、今日はちょっと自分のことを話そうと思う。

 実は俺、今の会社に入ってもう5年目だけど、最近ずっと「詰まってる」感覚がある。
 前は新しい技術を覚えるのが楽しくて、少しずつ仕事を任されて、自信もついてきて……そういう時間がすごく貴重だった。

 でも今は、気づけば同じ案件、同じ流れ、同じやりとりの繰り返し。
 俺は現状維持のなかで、なんとなく満足してるふりをしてるだけなんだと思う。

 評価されてるかもしれない。でも、それは及第点なだけなのかなって。
 要するに、俺も自信がないんだ。今の自分が、ほんとうに前に進めてるのか。

 そんなときに、遥と再会した。

 俺は、昨日の遥の言葉で目が覚めたような気がした。
 周りから見える自分と、ほんとうの自分って、全然違うんだなって。
 
 だから俺は遥のこと、ちゃんと知りたい。昔じゃなくて、今の遥を。

 もし迷惑じゃなかったら、また会って話さない?

 たとえば、あのとき途中になった「レボルの最終巻」の話でもしながら、さ。

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 最後の一文に、遥は思わず笑っていた。

(なにそれ……ちょっと気取ってる)

 どこまでも、まっすぐで。
 昔と変わらないあの目が、言葉越しに浮かぶようだった。

 

 夕方、遥は返信を書き、「えい」と小さな掛け声と一緒に送った。

「今日の夜、電話しない? 久しぶりに声が聞きたい」

 
 その夜、スマホのスピーカーから聞こえる悠真の声は、昔より少しだけ低くなっていた。
 でも、話し方は何も変わっていなくて、遥は自然と心がほどけていくのを感じた。

「……ごめんね、あんな言い方して」

「気にしてないよ。ていうか、むしろ感謝してるくらい」

「えっ、なんで?」

「遥が『本音』をくれたから。俺、正直、誰かにそうやってぶつけられるの久しぶりだった。だからさ、俺も本音で話そうと思えた」

 沈黙が流れる。でも、それは気まずさではなく、静かな余韻だった。

 やがて、遥はぽつりと言った。

「私ね、転職、しようかなって思ってる」

「……そっか」

「まだ全然、何も決めてないんだけど。なんか、悠真の話聞いてたら、『変わりたい』って、思ったんだ」

「そっか。変わりたいって思ってる瞬間から、きっともう変わってるよ」

 その言葉が、遥の胸の奥にやさしく灯った。

 まるで、どこかで聞いた台詞のように。

──「君をひとりにさせない」

 あの夜のスクリーンと、今の声が重なった。

 遥は笑った。

「ねえ、悠真」

「うん?」

「私、がんばってみる。ちゃんと、自分のこと」

「……うん。俺、応援してる」

 まっすぐに。

 そしてふたりは、はじめて本当の意味で、過去ではなく「今」を見つめ合っていた。