映画に行く約束をしたその夜、遥はなんとなく、久しぶりにSNSを開いた。
 フォロー欄のなかに、今朝まで「記憶のなかの人」だった名前があるのが、妙にそわそわする。

 ──高橋悠真。

 中学卒業以来、見たこともなかった彼の現在が、指先ひとつで覗けてしまうことが、少し怖くて、でも気になって。

 つい、タップしてしまった。

 そこには思っていたよりずっと、リアルな彼がいた。

 広いオフィスでノートパソコンを前にした写真。
 海外カンファレンスらしき会場で、英語でスピーチをしている姿。
 部内の懇親会で笑っている姿や、友人らしき数人との登山の記録。
 そのどれもが、自信と余裕にあふれていた。

(……なんか、すごいな)

 心の底からそう思った。
 同じ28歳。自分だって一応「働いている」けれど、並べられたら到底勝てない気がする。

(ていうか、勝ち負けじゃないって分かってるけど……)

 小さなため息が漏れた。

 部屋のなかは静かで、キーボードの打鍵音も、編集部からの通知も鳴らない夜だった。
 明日〆切の記事にはまだタイトルすら決まっていない。
 クライアントからは「もう少し読者目線で」「レギュレーションに沿っているだけで、つまらない」と言われてしまった。何度書き直しても結果は同じで、「これが能力の限界ってことか」と勝手に思う自分もいる。

(私……何してるんだろ)

 そう呟いた瞬間、スマホの通知が震えた。

 悠真からのLINEだった。

「あ、そうだ。映画、来週の金曜とかどう?」

「仕事終わりに池袋集合とかでもいけるよ。懐かしの『レボルの聖地』ってことで」

 懐かしの──その言葉に、少しだけ口元が緩む。

 あの頃、よく二人で話していた。
 「エルゲータって、もし地球にあるならどこだろうね」
 「池袋とか? ごちゃごちゃしてて、宇宙感あるよね」
 ──とりとめのない会話。けれど、唯一、自分が特別だった時間。

 メッセージの返信を打とうとする手が、止まった。

(……このまま会って、どうするんだろ。私は、何を期待してるんだろ)

 スマホを伏せて、遥は天井を見上げた。
 そこに広がっていたのは、何もない「現在」だった。