わたしたちのカノン 春に聴こえる夢路の天使~ブラームスの子守歌~

第四曲 春に聴こえる歌

 それから春休み最終日まではあっという間に過ぎた。
 最終日だけは合奏部で合同練習をしようと決めていて、それまでは各グループで練習を進めておく……という話だったのだけれど。
 あたしたちピアノ三重奏は、九能くんが日本にいないから音を合わせることができず。
 それぞれ個人で練習しておくしかないね、という話になっていた。
「で、練習してきた?」
 後ろ姿を見つけるなりつかまえた相手は、もちろん奏。あたし以上に練習が嫌いなチェリストだ。
「練習? なんの?」
 お肌つやっつやで頬を上気させた奏がくるりと振り返る。
「え、何? ドールみたいなかわいさなんだけど」
「多幸感ってやつ? 推しに会うとハッピーがあふれて若返るんだよねーっ」
「中学生が若返るってなんの話……? ていうか、練習は?」
「えーと、したよ。聴いたよ、ピアノ三重奏アレンジの『シング・シング・シング』だっけ?」
 人差し指を頬にあてる仕草がかわいすぎて、一瞬見とれてしまった。
 この様子ではちゃんと練習はしていないけれど、天才肌の奏なら見事に弾きこなせるのだろう。もういいや。
 奏をつかまえたまま音楽室に入ると、すでに部員が集まっていた。
 金管五重奏に弦楽四重奏、クラリネット五重奏、そしてあたしたちのピアノ三重奏。一年生が入ってくれたら、さらに大所帯になる。
 組み合わせを変えて合奏するのも楽しいかもしれない。
 あたしの胸にわくわくが生まれ、次第に大きくなる。
 合奏部二年目、楽しみしかないかも。
「よーし、じゃあ合わせてみよっか!」
 あたしが張り切って声を上げると、となりの奏がきょとんとした。
「え、いいの?」
「いいのって? ダメなの?」
「だって、全員そろってないじゃん」
「え、ほんと……?」
 あたしは慌てて「ひーふーみー」と人数を数え始める。誰かを忘れているなんて部長としてダメすぎる。
「帰ってこないほうがよかった?」
 ふいに背後から声がして、あたしはぎょっとして飛びのいた。
「ぎゃああああっ」
「え、何その反応……」
 怪訝な顔をしているのは、九能くんだった。
 ヴァイオリンケースをかついで入ってきた九能くんはあたしを追い越し、他の部員と話し始める。
 あ、えっと、元気そうで何よりです……。
「結ちゃん、聞いてなかったの? 今日帰ってくるって」
「え、奏は知ってたの?」
「うん。いつ帰ってくんのー? ってメッセージ送ったら返事きたから」
「あ、そう……」
 スマホって便利だよね。
 使いこなせてないあたしが悪い。
 結局、あの日の電話のあとで九能くんと連絡をとることはなかった。
(むずかしいなぁ、スマホって)
 スマホがむずかしいのか。
 九能くんとの距離感がむずかしいのか。
「あれ、じゃあ九能くんも部活紹介でやる曲知ってるのかな?」
 そうつぶやくと、奏に「ええ……」とドン引きされてしまった。
「それはオレが連絡済み」
 ぽこんと頭をたたかれ、見ると冷めた顔をした葉月くんだった。
「副部長として」
「あ、それはスミマセン……」
 あの日よくわからなくなった葉月くんもいつもどおりだ。
 あたしはいろいろ考えすぎなのかもしれない。
「ちょっとぉ! 結ちゃんたたいたね! 今より脳細胞死んだらどうすんのよ!」
「なんやそれ。かばってるようでバカにしとるやないか」
「え、うそひどい」
 文句を言いつつ、あたしは笑った。
 視線の先には、元気そうな九能くんがいる。
 どうやら寝不足は解消されたようだ。
 いつも以上にキラキラしたオーラをまとっている。
「あいつはほんまもんの音楽バカやんな」
 あたしの視線をたどってか、葉月くんがそう言った。
「ほんと『パリで充実してました』って顔に書いてある。あっちにいる間はあたしたちのことなんて忘れてたんだろうねぇ」
 奏の言葉に、少しだけ心臓がはねた。
 九能くんから電話がきたことは、奏は知らない。
 葉月くんは知っているけれど。
 そう思って葉月くんを見上げると、再び頭をたたかれた。
「はよ仕切らんかい、部長さん」
「あ、スミマセン……」

   *

 あたしたちピアノ三重奏以外は練習済みということで、一度全員で合わせてみることにした。
 オーケストラとちがって指揮者がいないから、何度も『シング・シング・シング』の演奏経験がある金管五重奏がリードすることに。
 とはいえ、最初からうまくいくはずもなく。
 バラバラになった音が音楽室に散らばり、あせり始めるあたしの気持ちとはうらはらに、どこからともなく笑い声が起こった。
「え、笑うとこ……?」
 戸惑いながらもがんばって指を動かしていると、奏がお腹を抱えて笑っているのが見えた。
 あっ、もう演奏してないじゃん。
「もーっ、笑わせんなや」
 笑うと吹けなくなる管楽器組が演奏を放棄すると、音楽の代わりに笑い声が響き渡る。
「うへぇ……大丈夫かな」
 あたしがぽつりとつぶやくと、近くにいた九能くんが小さな声で言った。
「……らしいじゃん」
「え、何?」
 目をぱちぱちまたたかせるあたしに、九能くんが皮肉っぽい笑顔を見せた。
「桐野がつくった合奏部らしいって言ったんだよ」
「あたし……?」
 そ、そうなのか。
 なかなか演奏が合わなくておかしくて笑っちゃう感じ?
 あたしっぽいって、そういうこと?
 ぐるぐる考えている間に、みんなは勝手に合わせるための相談を始めている。
「部長いらなさそうだけど」
 いいけどね。
 みんなが楽しいならそれで。

   *
 
 それぞれのソロを入れて。
 ひとりひとりを引き立てて。
 
 アレンジにアレンジを重ねながら、あたしたちだけの音をつむいでいく。

 上手じゃなくてもいい。
 音が集まれば、笑顔は生まれる。

(そうだよね?)
 顔を上げると、奏と、そして九能くんと、順番に目が合う。

 あたしの大切な大切なピアノ三重奏。
 これからも、守るからね。

 明日から二年生。
 そして合奏部は二年目。
 ――これからも、がんばりますか!