わたしたちのカノン 春に聴こえる夢路の天使~ブラームスの子守歌~

第三曲 わけありトランペッタ―

 春休みが終わって新年度が始まれば、すぐに部活紹介がある。それぞれの部が新入部員を募るためのもので、今年度できたばかりの合奏部にとっては初めてのものだ。
 つまり、前例がない。
「うーん、やっぱり全員で演奏? でもそれだとオケ部との違いがわかりにくいよね」
「まー、前みたいにそれぞれのグループがちょっとずつ演奏して最後に全員で合奏するんがええんちゃう?」
「だよね。時間がないから一曲を小分けかな」
 前っていうのは、合奏部を部活として認めてもらうために演奏したときのこと。
 金管五重奏の『エンターテイナー』から始まり、九能くんの『ラ・カンパネラ』、ピアノ三重奏の『カノン』につなげた。
 今回は時間がないうえに新しく部員が加わって弦楽四重奏とクラリネット五重奏ができたから、一曲をパートに分けてそれぞれが演奏、最後に全員で演奏というスタイルがベストだろう。
「待って待って、それぞれのグループで演奏が成立して全員でもできる曲を探すのって大変じゃない?」
「だからそのための会議やろ」
 葉月くんにあっさりと言われ、あたしは口をつぐんだ。
 そうだけどそうだけど。
 パッヘルベルの『カノン』は大切な曲だけど、そればっかりじゃ芸がない。
 それに、あたしももっといろいろな曲を合奏したい。
 奏と、九能くんと、そして合奏部のみんなと――。
「ほな部長さんはあっちの棚から頼むわ」
 葉月くんが指をさしたのは、CDが並んだ棚。とてつもない量だ。
「えええええーっ」
 そんなわけで、当然のごとく曲決めは難航したのだった……。

   *

 これは、と思う曲を見つけてはプレーヤーで流し、条件に合うかどうかを相談する。
「そうだ、スマホで検索したら早いんじゃない?」
 急に思いついて振り返ると、葉月くんは頬づえをついてスマホをいじっているところだった。
「あれ、もしかしてサボってマスカ……?」
「部長さんの言うとおり検索しとるだけや。……って、スマホ持っとるんか?」
「持ってるよ!」
 じゃじゃーんとポケットから取り出すと、葉月くんはシラけた顔になった。
「なんやそれ。ほんなら真田先生をとおさず連絡できたやん」
「……確かに」
 じゃあ今さらだけど番号を交換……と思ったところで、突然スマホがジリリリリン! と鳴り出した。
「ぎゃあっ」
 思わず放り投げてしまったスマホを、葉月くんが怪訝な顔でキャッチしてくれる。
 そして画面を見て、すぅっと目を細めた。
「ほぉーん。電話やで?」
「あ、ありがと」
 急いで受け取ると、そこには見慣れた名前が表示されていた。
 ――『九能アキラ』と。
「く、九能くん? パリにいるんじゃ……?」
 混乱しながらトークアプリの通話ボタンを押すと、いつもよりちょっと低く聞こえる九能くんの声がした。
『やっと出た』
「あ、ごめん。今学校にいて……。って、九能くん、パリにいるんだよね?」
『うん。学校のどこ?』
「音楽室だけど」
 九能くんのパリ行きは知っていたから、曲決め会議のことは話していない。隠していたわけじゃないのに、なんだか罪悪感が生まれてしまう。
『ちょうどよかった。――あれ弾いて?』
「あれ?」
『ブラームスの子守歌』
「あ……、うん。わかった」
 ――眠れないんだ。
 そう悟り、あたしは急いでグランドピアノの前に座った。スマホを置いて、深呼吸をする。
 電話ごしでも届くように。
 はるかかなたパリまで届くように。
 少し緊張したけれど、あたしはいつものように鍵盤に指をのせた。
 
 念のためにと二回弾き、あたしはそっとスマホを手にとった。音を立てないように耳にあてると、静かな寝息が聞こえた……気がする。
(眠れた……のかな?)
 耳を澄ますと、リズミカルな息づかいが聞こえる。よかった、と思うと同時に、きゅっと胸が苦しくなった。
(あたしのピアノ……。役に立てたかな)
 そのまま動けずにいると、ふいに葉月くんがにゅっと視界に入ってきた。
「もうしゃべってもええ?」
(うわああああぁっ)
 あたしは声を押し殺したまま慌てて通話を切った。
 あぶなかった……。
「こんなん、どうや?」
 葉月くんが差し出したのは、一枚のCD。どうやらあたしが子守歌を弾いている間も曲探しをしていてくれたらしい。
「『シング・シング・シング』って……ジャズの?」
「スウィング・ジャズの定番曲やな。でも吹奏楽をはじめいろんなアレンジが出てるからどんな編成でもできるんちゃう?」
「誰でも聞いたことある曲だし、いいと思う。でも、ジャズピアノか……」
 自信なさげにつぶやくと、葉月くんににやっとした笑顔を向けられた。
「『エンターテイナー』やったやん」
「あ、そうだね。あれってジャズなんだっけ?」
「ジャズのルーツのひとつといわれる『ラグタイム』やな」
 ピアノでは主にクラシックばかりを練習しているあたしにはよくわからないけれど、とにかくあたしにも弾けないことはないと葉月くんは判断したのだろう。
「今から練習して間に合うかな」
 不安要素はただひとつ、もちろんあたしのピアノだ。
 部活紹介まで一か月もない。
「どんな曲も練習したら弾けるやろ」
「…………」
 そんなこと言われたら何も言い返せないじゃないですか。
「相変わらず自信なさげやな、部長さんは」
「はぁ……部長なのにスミマセン……」
 なんだろう。
 今日の葉月くんはちょっと攻撃的な気がする。
 いつもこんなんだった気もしなくもないけれど。
 ちょっと落ち込んで床にへたり込んでいると、葉月くんがぼそっと言った。
「――さっきの演奏はええ感じやったと思うわ」
「さっきの?」
「子守歌」
 まっすぐに視線を向けられ、あたしの胸は高鳴った。
「ほんと? よかった? 眠くなった?」
「眠く……はならんかったけど。めっちゃええ音出すんやな。――九能のためなら」
 あたしの音を褒めているはずなのに、葉月くんはなぜかちょっと怖い顔をしていた。
「九能くんのためっていうか……。眠れないのは誰だってつらいだろうなって」
「ふぅん」
 あれ? やっぱりなんだか冷たくない?
 葉月くんは九能くんをライバル視してるみたいだから、そのせいかな。
「あ、でもあたしの場合は『誰かのために』弾くほうが上手に弾ける気がするかも。ひとりで弾いてるとミスが増えるし」
 練習だけじゃなくて、ピアノの先生の前で弾くときも上手くできないんだけど。
 先生にビシビシ指導されているときのことを思い出して頭を抱えていると、葉月くんが無表情でつぶやいた。
「……オレのためにも弾いてくれるん?」
「え……?」
 今、なんて?
 向けられた言葉を飲み込むより早く、あたしの顔がカーっと熱くなった。
 待って待って待って!
 ちがうちがう、葉月くんはヘンな意味で言ったわけじゃない。
(ていうか、どういう意味?)
 困惑していると、葉月くんがふっと笑った。
「じょーだんや。それより腹減ってへん?」
「へ? 腹?」
 おろおろと視線をさまよわせながら教室の時計に目をやると、とっくにお昼をすぎていた。
そういえばお腹が減った気がする。
 と思ったところで、音楽室の扉が開く音がした。
「君たち、まだいるの」
 うっとうしそうな表情をした真田先生だ。
「せんせーっ、ちょうどええとこに! 差し入れ頼むわ」
「差し……。まあいっか。何食べたい?」
 葉月くんと真田先生が、ピザにするか寿司にするかとわいわい言いながら音楽室を出ていく。
 あたしは食いっぱぐれないように、慌ててあとを追いかけた。