4月のはじまり。
新しいクラス、新しい席、新しい空気。
でも、胸の中にある感情だけは、新しくない。

ずっと、ずっと前から、私の中にあった――
神咲瀬那に向ける、この感情。

ただの“気になる”じゃない。
だけど“好き”って言葉を、今ここで口にするには、まだ何かが足りない気がしてた。

教室の窓際。
そこが、彼と私の居場所。

「……お前、香水とか、つけてる?」

唐突すぎて、思わずペンが止まる。

1時間目の現代文の時間。
瀬那は隣で、教科書も開かず、机に頬杖をついてる。
見られてる。ちょっとだけ、顔が熱くなった。

「えっ、え……? いや、つけてないけど……?」

「……じゃあ、なんかの柔軟剤?」

「……うん、多分。ラベンダー系のやつ使ってるかも」

「ふーん」

それだけ言って、また窓の外を見た。
でもなんとなく、その“ふーん”の声が、少しだけ優しかった気がする。

たったそれだけの会話。
なのに、どうしてこんなにも心が跳ねるんだろう。

「神咲くんって、さ……」

無意識に、口が動いてた。

「……何」

「怖いとか言われてるけど、そんな風に見えないよね」

「……」

瀬那は、すぐには答えなかった。
少しだけ眉が動いた気がして、私は失言だったかと焦る。

でも、数秒後。

「……それ、俺の前で言うやつ、あんまいねーよ」

「え、なんで?だって……ほんとにそう思っただけで」

「そういうとこ、変わってる」

小さく笑って、瀬那はまた頬杖をついた。
教科書もノートも開かずに、でも確かに私の言葉を聞いてくれてた。

変わってる、って。

バカにした風じゃなくて、ちょっとだけ好意みたいな響きが混ざってた。

……だめだ。

“好き”って、まだ言えないけど、
こんな会話ひとつで、心が暴れてどうしようもない。

先生の声はどこか遠くて、
私の意識は、ずっと隣の彼に向いていた。



「一ノ瀬さーんっ!」

昼休み。
教室を出ようとしたら、後ろから大きな声。

「ねぇねぇ、ほんっとに神咲くんと隣なの?」

「う、うん……席、そうなったから」

「うわーやば。近すぎじゃん!何か話した?」

「え、別に……ちょっとだけ」

「いいなぁ、てか怖くないの?神咲くんってマジで喧嘩やばいらしいじゃん。去年とか、近隣校の不良3人相手にひとりで……」

「それ、ただの噂じゃないの?」

「いや〜、でもさ、顔はめっちゃイケメンだよね。しかも無駄に色気あるし、身長も高いし。あれはずるいわ」

「だよね!けど一ノ瀬さんと隣って、ガチうらやま……!」

噂。視線。好奇心。嫉妬。

そんなの、全部わかってる。
でも、やっぱり“気になる”をやめられない。

席が隣になったのは、偶然。
でもこの距離感で心が近づくかどうかは、自分次第なのかもしれない。

私は――
彼のこと、もっと知りたい。

ちゃんと、“私”として見てほしい。



放課後。

部活にも行かず、今日はそのまま帰る予定だった。
教室を出ようとしたとき、また、名前を呼ばれる。

「……おい、一ノ瀬」

「えっ」

声の主はもちろん、神咲瀬那だった。

廊下。人気の少ない時間。
振り返ると、壁にもたれて私を見ている。

「これ」

ポケットから出されたのは、今朝貸した、私のハンカチ。
ちゃんと洗ってある。きれいにたたまれて、柔軟剤のいい匂いがした。

「……ありがとう」

「一応、返す約束は守るタイプ」

「……ふふ。意外と、律儀なんだね」

「……うるせ」

小さく笑って、瀬那は踵を返した。

その背中。歩き方。制服の乱れた着こなしさえ、
どうしてこんなに目で追いたくなるんだろう。

「神咲くん!」

思わず、声を出してた。

「……なに」

「また……明日も、話してくれる?」

瀬那は、ほんの少し振り返って、目を細めた。

「……機嫌よかったらな」

それだけ言って、去っていった。

私の心臓は、まだドクドクしてる。

“好き”なんて、まだ言えない。

でも――
この人に、もっと近づきたいって思った。