自分の部屋に向かったわたしはカバンを置き、制服から着替える私服を選ぶ。

もう今日は外出ないだろうし、部屋着で・・・。
いや、でも璃央いるしこっちのワンピースかな・・・。
ーーって、別に璃央がいてもいいじゃん!
よし、部屋着にしよう!

なんて頭の中でぐるぐるやりながら、結局部屋着を手に取る。

ちょうど制服のリボンに手をかけた時、いきなりドアが開いた。

「ちょっと、着替えてたらどうすんのよ!」

「なんだよ今更。昔は一緒に風呂も入ってたじゃん」

「だからいつの話してんの?!」

ぷんすか怒るわたしを見て、璃央は楽しそうに笑う。
経験豊富な璃央にとって、わたしの下着姿なんて部屋着と変わらないんだろうけど、なんか、そういうのが余計に腹が立つ。

むすっとしていると璃央が「ごめんて」と言いながら、
可愛いピンクのリボンが結ばれた小さな箱を渡してきた。

「はい、これで機嫌直して」

「なにこれ?」

「入学祝い」

「えっ、開けていいの?」

「どうぞ」

璃央に促されて箱を開けると、そこにはピンクゴールドの繊細なリップケース。
夢中になって蓋を取ると、中には透明なリップの中に小さな花が浮かんだ、
まるでガラス細工みたいなリップティントが現れた。

「可愛い・・・」

光にかざすと小さな花びらがまるでラメのようにキラキラと反射して、
見ているだけで胸があたたかくなる。

「気に入った?」

「うん、ありがとう璃央!」

わたしが見惚れていると、璃央がすっとリップを取った。

「ちょっ・・・」

「これさ、唇の状態とか温度によって色が変わるんだって」

璃央の手が頬に添えられて、リップがわたしの唇に近づいた瞬間、慌てて一歩下がる。

「なになに?」

「ん?気になるから塗ってみようと思って」

「いやいや、それなら自分で塗るから」

「やだ、俺が塗る」

「なんでよ」

「昔は俺が優愛に塗られてやっただろ?」

「っ!」

思い出した。小1のクリスマス、子供用のメイクセットをもらって、誰かにメイクしたくてたまらなかったあの頃のこと。
お兄は逃げ回り、璃央だけが付き合ってくれた。

「優愛が好き勝手するから、すごい顔になって匡人に何回も笑われたっけな」

確かに、子どもがするメイクだから、
リップもチークもとにかく塗りまくってすごい顔にしてしまっていた。

「嫌なら断ればよかったじゃん」

「え~、それは無理だろ」

「なんで?」

「だって、優愛がすごい楽しそうにしてたから」

そう言って笑う璃央の顔は、幼い頃のままの優しい璃央で、心臓がドクンと跳ねた。

「もう分かったから、早く塗って」

これ以上続けたら、わたしの心臓がもたない。

「やった」

璃央の大きな手が再びわたしの頬を包み、リップの先がそっと唇をなぞっていく。
すこしひんやりした感触と、ふわりと花の香り。

終わったと思い、伏せていた目を上げるとちょうど璃央と視線が合った。

「優愛は桜色か」

璃央の親指が唇を優しくなぞり、その指先の温度に一気に全身の体温が上がっていく。

「可愛い」

鼓動の速さに、もう限界だと思った瞬間、下からママの声が響いた。

「2人ともごはんできたよ~」

「は~い、いま行きま~す」

璃央は何事もなかったかのように、
わたしの頬から手を離しママに聞こえるように返事をする。

「ごはんできたって」

「あっ、わたし、着替えて行くから先食べてて」

「了解~」

璃央が部屋から出ていったのを見届けた瞬間、わたしはその場にへたりこんでしまった。
カーテンの隙間から入る春の光が、ぼんやりと床に揺れている。

「璃央のバカ」

きっと璃央にとってはなんでもないこと。
だけど、わたしは璃央に触れられるたび、“可愛い”って言われるたび、簡単に“嫌い”が“好き”に戻ってしまいそうになる。

ふと鏡を見ると、リップの色はほんのり桜色。
さっき璃央に触れられた唇のあたりだけ、少し濃い色に染まっている気がした。

やっぱり、璃央とは距離を置かなきゃ。

そう心の中で呟きながら、わたしはそっと鏡の中の自分に背を向けた。