畳のにおいが鼻にしみる。重たい頭をもたげると、視界の端に見えたのは天井の木目。

 ……ここ、実家?

「ちょっとあんた!なにお客さん用の布団まで敷いて、そんなとこで寝てんのよ!」

バサッと襖が開いて、母の声が飛んできた。寝ぼけながら目をこする。
「あ……そうか。同窓会のあと実家に戻ってきたんだっけ……酔っ払って、あんま覚えてないや」

なんだか夢を見ていたような気もするけど、内容はさっぱり思い出せない。頭がぼんやりしてる。

「マナトは?」

とっさに口にした息子の名前に、母が怪訝な顔をする。

「は?誰それ。……なに、また新しい彼氏?とにかく早く朝ごはん食べな。お母さん仕事なんだから」

パタン、とまた襖が閉まる音がした。

(え……?なに今の返し。彼氏って……いやいや、マナトは私の子どもだってば)

ぼーっとした頭で時計を見る。6時すぎ。早いな……

ふと、時計の横に貼られたカレンダーが目に入る。

「……なにこれ。2005年?」

声に出して読み上げてみた。違和感。とてつもない違和感。

「は?え、なにこの年号。……え、ちょ、まって、和室のカレンダーってどんだけ古いの貼ってんの。変えろよな……」

でも、カレンダーはまったく黄ばんでいない。新品のようにピシッとした紙質。

体がふわっと冷たくなる感覚。なんだろう、これ。

恐る恐る立ち上がり、キッチンの方に向かう。母が焼いたらしい魚の匂いがする。白いご飯と味噌汁が、いつものように並んでいた。

ピンポーン。

玄関のチャイムが鳴った。

「ユカちゃーん、ごめんねー!ちょっと待っててあげてね」

母の声がリビングから響く。

(ユカ??昨日の同窓会でなんか約束でもしたかな。酔っ払って覚えてないや)

インターホンの、画面をみながら通話する。

「おっはよ〜。今行くね。
っていうかさ、あんたの茶髪、久々に見たわ。いーねー、似合ってんじゃん。昨日も茶髪だったっけ??」

「……え?」

「なに寝ぼけてんの。早く学校行こ。汗かくからダッシュはいやだよ!」

「……え???」

ムギの脳みそが、再起動中だった。

寝起きのまま、ムギはとりあえずポケットにスマホを突っ込もうとして、違和感で手が止まった。

(……これ、スマホじゃない)

ガラケー。角が丸くて、パカッと開くやつ。ピンク色で、ストラップがごちゃごちゃ付いてる。

「え?え?なにこれ……え、持ってた?こんなやつ」

アンテナの部分に白いハート型のビーズ。完全に懐かしすぎる装備。

手に持ったもう片方は、薄っぺらい財布。中身を確認する。Suica……ない。クレカ……もない。なんなら現金2千円と、プリクラシールが数枚。

「……なんかもう、だいたいわかってきた」

母は仕事に出かけ、家の中は静かになっていた。

和室のカレンダー、2005年。
ユカが茶髪で、ノリもまんま高校の頃。
ガラケー、プリクラ、現金主義。

「これ、夢とかじゃない。……ガチで、戻ってる」

まぶしい朝日が差し込む玄関を開けると、外には制服姿のユカがいた。

高校のステッカーが貼られた自転車にまたがって、片足だけペダルにかけている。
制服のスカートが短すぎて、「母親に見せたら泣くレベルだな」とか思いながら、ムギはふらっと立ち止まった。

「……わらえる、その自転車」

笑ってないけど、つい呟く。

「は?何が。あんたの自転車の方がよっぽどヤバいし」

ユカがツッコんでくる。

ムギは自分の自転車に視線を落とす。——ハートのステッカー、キラキラのかごカバー、蛍光ピンクのサドルカバー。

「……たしかに。」

2人で無言で見つめたあと、ふっと笑いがこぼれそうになるのをこらえた。

(あたし……まじで、戻ってきたんだ)