黒兎の相棒は総長でも止められない

 

週末の午後。

私は近所の商店街で少し買い物を済ませた帰り道、
なんとなくいつもとは違う細い路地を歩いていた。

 

(こっちの道って滅多に来ないな…)

 

ふと、静かなエンジン音が耳に入る。

音の方へ目を向けると、古びた倉庫が並ぶ場所に出た。

 

その一角。

何台も並んだバイクの向こうで、凪くんが整備をしているのが見えた。

 

(……凪くん)

 

革ジャンを脱ぎ、黒いロンT一枚で作業している。
袖をまくった腕には薄くオイルがついていて、タオルで何度も手を拭きながら丁寧にパーツを調整していた。

 

無表情に見えて、いつもの鋭さは薄れていた。
目は集中していて、口元はわずかに緩んでいる。

 

(……なんか、雰囲気全然違う…)

 

静かで落ち着いていて、危ない感じは一切ない。
ただひたすら、真剣に整備してる姿だった。

 

私は少し距離を取った場所から、そっとその様子を眺めていた。

 

すると背後から声がかかった。

 

「あれ?七星ちゃん?」

 

振り返ると、兄の仲間である桐谷さんが立っていた。
隣には別のメンバーもいる。

 

「こんにちは」

 

「ああ、こんなところに来るの珍しいじゃん」

 

「……たまたま通りかかっただけで」

 

桐谷さんは笑って頷いた。

 

「まあ、そうだよな。危ない場所でもねぇし、今日は大人しくやってるから安心しな」

 

「……別に、そういうの見に来たわけじゃないし」

 

隣の先輩が少し茶化すように言った。

 

「ま、でも兄貴の世界もたまには覗いとくのも悪くないんじゃね?」

 

私は少しだけ眉をひそめる。

 

「覗いてるつもりもないけど」

 

「冗談だって」

 

二人は軽く手を振って戻っていった。

 

私はもう一度、そっと凪くんの方へ視線を戻す。

依然として凪くんは作業に集中していた。

その真剣さが妙に胸に刺さった。

 

(……本当に普段と全然違う)

(なんか、こういうの見たの初めてかも)

 

思わずもう少し見ていたくなったけど、さすがにこれ以上は邪魔になりそうで踵を返そうとした――

 

「……隠れて何見てんだよ」

 

突然、静かな声が背後から響いた。

 

「えっ…!?」

 

驚いて振り返ると、いつの間にか凪くんがこちらを向いていた。
気付かれないようにしてたつもりだったのに、全部バレてたらしい。

 

「そんな覗き見する趣味あったか?」

 

「ち、違う!たまたま通りかかっただけ!」

 

「ふーん…ずいぶん長い“たまたま”だな」

 

わずかに口元を緩める凪くんの表情に
私は耳まで熱くなるのを感じた。

 

「……だって、整備してるの初めて見たから…」

 

「んだそれ。わざわざお前に見せるもんでもねぇし」

 

少し間を置いてから、凪くんは少しだけ冗談ぽく続けた。

 

「……コソコソ覗いてんなよ、変態」

 

「へ……!?なんでそうなるの…!」

 

「あ?なんか言ったか?」

 

「意味わかんない!」

 

凪くんはふっと小さく笑った。
いつもより、少しだけ柔らかいその表情に
私は動揺を隠せなかった。

 

「……もう、知らない」

 

早足でその場を離れながらも
胸の奥が妙にドクドクしていた。

 

(……なんなの、もう)

(……変な人…)

 

けど――その“変な人”の姿が
頭の中からなかなか消えなかった。