翌日、学校の昼休み。
友達とお弁当を広げていた時だった。
スマホに通知が入る。
画面には【お兄ちゃん】の名前。
『今日、久々にメシ行くか?』
『たまには妹孝行もしとこうかなって』
私は思わず苦笑した。
(ほんと、珍しい…)
「誰から?」と由梨が聞いてきた。
「……お兄ちゃん」
「なに?デートの誘い?優しいじゃん」
「……まあ、暇できたんでしょ」
本音を言えば、少し嬉しかった。
最近は族のことで忙しそうだったし
兄とこうやって普通に食事に行くのは久しぶりだったから。
***
夜。
兄が迎えに来て、近くの個室焼肉店に連れて行ってくれた。
店内は静かで、外の騒がしさが嘘みたいだった。
「久々だな、こういうの」
「ほんとにね」
肉を焼きながら、兄は少し柔らかい顔で笑っていた。
でも、店内のテレビで流れていたニュースのテロップが目に入る。
【昨夜、市内の一部で暴走族の集団が目撃され──】
一瞬だけ兄の箸が止まった。
「……」
私はその表情に気づいたけど、あえて何も聞かなかった。
今は普通の時間を過ごしたかった。
***
食事を終え、兄の車で帰宅していた。
車内はいつもより静かだった。
それでも私は、さっきのニュース映像がずっと頭に残っていた。
その時だった。
突然スマホが鳴り響いた。
兄がスピーカーに切り替える。
『颯斗さん!今ヤバいです!〇〇通りで揉めてます!他所の連中が絡んできてます!』
「は?今そこか?」
『ウチの数人がもう囲まれてます!』
兄の表情が変わる。
「……七星、そのまま乗ってろ」
「え?」
「途中で降ろしてる場合じゃねぇ。すぐ現場向かうから」
車は一気に加速した。
普段は絶対に使わないスピード。
私の心臓がどくどくと音を立てる。
(……やばい…本当に何か起きてる)
「……お兄ちゃん…危ないなら…」
兄は短く遮った。
「いいから黙って乗ってろ。絶対に外に出るなよ」
「……うん…」
***
しばらく走り続け
到着したのは薄暗い人気のない広場のような場所だった。
街灯は少なく、辺りにバイクの排気音だけが響いていた。
「七星、ここからは降りるな。絶対だぞ」
兄は短くそう言い残し、ドアを開けて車を降りていった。
ドアが閉まった音が、妙に大きく響く。
私はシートを倒し気味にして、少しだけ隙間を開けた窓から静かに外を覗いた。
広場の中央には数十人の男たち。
うちのメンバーも相手の連中も、睨み合っている。
派手な服、刺繍の入ったジャケット、鉄パイプを手にする男もいる。
(……これが、本物の…抗争…)
兄はゆっくりと中心へ歩いていく。
相手のトップらしき男が、煙草を咥えながら待っていた。
遠くて会話の内容までは聞こえない。
ただ、兄の顔が徐々に険しくなっていくのが分かった。
相手の男が身振りを交え、挑発的に何かを言っている。
(お願い、やめて……)
私は息を殺してシートに身を沈めた。
ふと視線を動かすと――
兄の右側、後方に立つ男の姿が目に入る。
凪くんだった。
黒い革ジャンの下、静かに構えるその姿。
背筋をまっすぐに伸ばし、手はポケットのまま。
でも目だけは、一瞬たりとも相手から逸らしていない。
周囲の緊張感を読みながら、まるで常に動ける体勢を維持しているようだった。
無駄な力みは一切ない。
鋭く、冷静に、静かに空気を掌握している。
(……凪くんも……)
その瞬間。
突然、相手の男たちが何か合図を出したのが見えた。
動きが一気に乱れる。
(……え?)
次の瞬間――
男たちが一斉に詰め寄り、武器を振り上げた。
乱闘が始まった。
うちのメンバーがすぐに応戦する。
兄は前線へ踏み込んで、相手の中心に突っ込んでいく。
凪くんも、全く慌てる様子もなく
素早く一人目の腕を捻りあげ、金属音が鳴った。
そのまま振り抜かれたパイプを受け流し、肘を使って顎を打ち上げる。
倒れた男の後ろから飛びかかる二人目の男をすぐさま足払いで転倒させ、間髪入れずに肩口へ膝を落とした。
倒れ込む男たち。
けれど凪くんの目は一切揺れていなかった。
一発一発、全てが正確で無駄がない。
殺気立った空気の中で、凪くんだけが異様なほど静かに立ち続けていた。
(すごい…全然違う…)
私は息を呑んだまま、その光景に釘付けになっていた。
兄の方も次々と相手を捌いていく。
どちらが倒れてもおかしくない距離感で、鋭い打撃音だけが続いている。
街の片隅で起きている現実の抗争。
兄も凪くんも、私が知らなかった世界に、今まさに立っていた。



