彩葉という名の春


 

 

──戦時中──

 

 

消息不明通知を受け取ってから
季節は容赦なく流れた

 

 

春が過ぎ、夏が終わり、秋も深まり──

 

 

それでも彩葉の心は
あの日の”春”から動けないままだった

 

 

「……恭介……」

 

 

ひとり布団に入り
恭介の羽織を抱きしめたまま、何度もその名を呟いては涙を零した

 

 

「……帰るって……言ったじゃない……」

 

 

どれだけ祈っても
どれだけ叫んでも
返事はない

 

 

 

──

 

 

 

──そして、ある晩──

 

 

秋の雨が激しく蔵の屋根を叩く音が響く中
彩葉はまた蔵へと足を運んでいた

 

 

「……ここに来ると……少しだけ、あの時に戻れる気がするんだよ……」

 

 

桐の箱にそっと触れながら
静かに微笑み、すぐに涙が滲む

 

 

箱の中には、あの日と同じ手紙たち──

 

 

「……恭介、会いたいよ……ほんとに……ずっと待ってるのに……」

 

 

震える指先で最後の手紙を取り出す

 

 

『もし私に万が一のことがあったら──君は幸せでいてくれ』

 

 

「……幸せなんて……あなたがいないのに……」

 

 

肩を震わせ、手紙を抱き締めた

 

 

「ずるいよ……私にだけ残して、ひとりでいなくなるなんて……」

 

 

嗚咽が漏れ出し
床に膝をつく

 

 

「……戻ってきてよ……お願いだから……戻ってきてよ……!」

 

 

 

──その瞬間──

 

 

ゴロゴロゴロ……

 

 

遠くで雷鳴が唸り始める

 

 

「……え……」

 

 

天気は晴れていたはずだった
それでも空気がピリピリと震え出す

 

 

「まさか……」

 

 

蔵の奥の祠のような場所から
光がわずかに漏れ出すのが見えた

 

 

「嘘……また……?」

 

 

次の瞬間──

 

 

──ドォン!!

 

 

眩い光が全身を飲み込んでいく

 

 

「──っあ……!」

 

 

意識が真っ白になっていった

 

 

 

──

 

 

──現代──

 

 

「……ん、……ここは……」

 

 

ゆっくり目を開けると
天井が見慣れた現代の部屋だった

 

 

隣には千代ばぁが心配そうに覗き込んでいる

 

 

「……彩葉、大丈夫かい?倒れてたんだよ、蔵で──」

 

 

彩葉は状況が飲み込めず
ただ目を瞬かせた

 

 

「蔵で……?」

 

「雷も鳴ってたから、びっくりしたさ」

 

「……雷……」

 

 

胸がドクンと跳ねた

 

 

──私は……戻ってきたの……?

 

 

「彩葉?」

 

「あ、う、うん……だいじょうぶ……」

 

 

目頭が熱くなる

 

 

「……夢、だったのかな……?」

 

「夢?」

 

「……なんでもないよ、千代ばぁ……ありがとう、心配してくれて」

 

「無理しなくていいんだよ。ほんとに倒れて心配したんだからねぇ」

 

「……うん……」

 

 

彩葉は微笑んだ

 

 

だけど心の中は、静かに泣き叫んでいた

 

 

──

 

 

 

──それから──

 

 

彩葉は現代の生活に戻った
けれど心は、あの春のまま止まり続けていた

 

 

毎年、春になると
蔵へ足を運ぶのが習慣になっていた

 

 

 

「……ねぇ、恭介……」

 

 

今日もまた、桐の箱の前で呟く

 

 

「やっぱり……夢なんかじゃ、なかったよね──」

 

 

震える手で
彼の最後の手紙をそっとなぞる

 

 

「……あの時……ほんとは、あなたを離したくなかったんだよ」

 

「いっそ……蔵がまた光ってくれたらいいのに……」

 

「今なら……怖くなんかないのに──」

 

 

涙がまた溢れる

 

 

「……だけど──あなたがくれた春は、今も私の中にあるよ……」

 

「ずっと、ずっと──私の中に、咲いてるよ──」

 

 

桜の花びらが
ゆっくりと蔵の外から吹き込んでくる

 

 

彩葉は小さく微笑んだまま
そっとその花びらを指先で受け止めた

 

 

──それが、彩葉の”戻った春”だった