彩葉という名の春



 

 

──数日後──

 

 

空は高く澄んでいて
春の風がやわらかく庭を撫でていた

 

 

彩葉は座敷の窓を少し開け
外をぼんやりと眺めていた

 

 

「……もうすぐ桜も咲きそう」

 

 

小さく呟いたその声は
誰に聞かせるでもなく、ただ風に流れていく

 

 

ふと背後から静かな足音が近づいた

 

 

「今日は穏やかですね」

 

「あ……恭介」

 

「こういう日が、ずっと続けばいいのですが」

 

 

その言葉に
彩葉の胸がきゅっと締め付けられた

 

 

──そう、私もずっとそう思ってる

 

 

でもこの日々はきっと──
“永遠”には続かない

 

 

それをどこかで分かっている自分がいた

 

 

 

「お怪我の具合は?」

 

「あ……もう大丈夫。もう歩くのも平気だよ」

 

「良かった」

 

 

恭介は少しほっとしたように微笑んだ

 

 

けれど、その笑顔の奥にも
わずかな影が見え隠れしているように思えた

 

 

「……恭介、最近、時々考え込んでる?」

 

 

ふと、気づけば自然とそんな言葉が出ていた

 

 

「……気づかれていましたか」

 

「うん」

 

 

恭介はほんの少し目を伏せた

 

 

「私は今、とても幸せです。こうしてあなたと穏やかな日々を過ごせていることが」

 

「……私も」

 

「けれど……この幸せが、あまりにも儚く感じる時があるのです」

 

「……」

 

「戦争は、いつどこへ広がるか分からない。いつか、私にも──」

 

「……もう、やめて」

 

 

彩葉の声が震えていた

 

 

「今だけは……そんな話、しないで」

 

「……すみません」

 

 

沈黙が落ちる

 

 

小さな風が、ふたりの間を通り過ぎていった

 

 

 

「……でもね」

 

彩葉がぽつりと口を開いた

 

 

「私ね……あの日、あの蔵で──雷に打たれて目が覚めたときから、ずっと怖かった」

 

「怖かった?」

 

「うん。知らない時代にいて、知らない人ばかりで……」

 

「……」

 

「でも──恭介がいてくれたから、私はここにいられるの」

 

「彩葉……」

 

 

恭介の手がそっと彩葉の手を包んだ

 

 

その温もりが
胸の奥までじんわりと染み込んでくる

 

 

「……本当は、私も怖いのです」

 

「……え?」

 

「あなたを、好きになればなるほど──」

 

 

恭介は、少しだけ唇を震わせた

 

 

「いつか、あなたを失う日が来るのではないかと……それが怖い」

 

 

彩葉の目に、じわりと涙が滲んだ

 

 

「……私も……」

 

 

声にならない言葉が溢れそうになる

 

 

けれどふたりは
まだ踏み込めないまま、手だけをそっと握り続けていた

 

 

──

 

 

その夜──

 

 

布団に入っても眠れず
彩葉は静かに月を見上げていた

 

 

恭介の言葉が、胸の中で何度も反響していた

 

 

──好きになればなるほど、怖くなる

 

 

私も──同じなのに

 

 

でも、まだ
口に出せないまま

 

 

ただ静かに
涙が一粒、頬を伝って落ちていった