文化祭が近づくにつれて、校内の空気は騒がしくなっていった。
ポスター、チラシ、装飾、音楽――ベクトルが乱舞する空間。
コメはその中心から、少しずつ距離を取るようになっていた。
(あの空気に、もう入りたくない)
(見えるって、苦しい)
しげちゃんが声をかけてくれる。
「ねえコメ、大丈夫? 元気ないじゃん」
「……うん、ちょっと疲れてるだけ」
「またあの“矢印”のやつ?」
言葉に出されると、逃げられない現実になる。
準備で遅くなった校舎。
帰ろうとしたコメがふと立ち寄ったのは、――屋上だった。
扉を開けると、風といっしょに、うっすらとタバコのにおいがした。
(あ……)
気配に気づいて奥を見やると、やっぱり、いた。
柵に寄りかかって、空を見上げる渡部先生。
手にしているのは、煙草の箱。
「……先生」
コメが声をかけると、先生は少し笑って、
「やっぱ、来たな」と呟いた。
「え?」
「なんとなく……今日、来ると思ってた」
ふわっと風が吹いた。
先生の髪が揺れて、夕焼けの光が輪郭を照らす。
「…疲れる?」
先生が優しく聞いてくれる。
「沢山の人の気持ちや感情見えて。いろんな色が混ざりすぎて、ちょっと疲れたかな」
矢印の事は先生には話していない。
感情が見えるとか、色とか、何言ってるの?という反応されるかもしれないけれど、
言ってしまった。
「気持ち…ね…」
タバコの箱をポケットにしまった。
先生はふと横目で見て、言った。
「前、俺もこの委員会にしたって言ったよな?
……お前があの委員会に入ったから、俺、担当になったんだよ」
「――え?」
「最初は他の委員だったけど、変えた。理由、聞く?」
コメは、口を開きかけて、閉じた。
でも、胸の奥が熱くて、痛くて、うれしくて、泣きそうで。
そして、先生はそれ以上、何も言わなかった。
夕焼けの空の下、二人きりの屋上。
風の音だけが、静かに世界をなぞっていた。



