体育館の壇上に、花が咲くように並ぶ卒業証書。
コメは、真っ白な制服の袖を握りしめながら、卒業式の空気をかみしめていた。
花の香り。保護者のすすり泣く声。先生たちの静かな見守り。
(ああ、本当に、今日でおしまいなんだ)
名前が呼ばれ、立ち上がる友達たち。
もっちゃんも、しげちゃんも、カオリも。
みんな、それぞれの未来に向かって歩いていく。
(私も……)
コメの名前が呼ばれる。
壇上に上がると、視線の先に渡部先生の姿があった。
(目が合った――)
でも、先生の表情は、他の誰にも向けるのと変わらない、穏やかで静かなもの。
(そうだよね。先生は、先生だもん)
卒業証書を受け取り、コメは一礼して壇を降りた。
――けれど。
式が終わったあと。ざわつく教室の中。
黒板には「卒業おめでとう!」の文字。
「コメ」
振り向くと、そこには、あの人が立っていた。
「屋上、行くか」
声が低くて、静かで、でも確かに――やさしかった。
誰にも気づかれないように抜け出して、
最後に上がった、あの場所。
風が吹いていた。
あの日と同じ、たばこの匂いがわずかに残っていた。
でも今日は、先生は火をつけなかった。
「……卒業、おめでとう」
それだけ言って、先生は手すりにもたれた。
「先生は、これからもここに残るんですよね」
「まあな。まだやること、あるし」
「私は……たぶん、ずっとこの屋上のこと思い出します」
「それは困るな」
冗談っぽく言って、でも目は真剣だった。
「ちゃんと前、向けよ」
「……先生は?」
「俺は、俺の立場からしか矢印出せない。でも――」
言いかけて、先生は言葉を切った。
「“そうか、お前にはそんなふうに見えてたんだな”」
コメの胸が、ぎゅっとなる。
「それって、やっぱり……」
「そうだとしたら、どうする?」
その問いに、答えられなかった。
でも――
先生がポケットから取り出したのは、小さなキーホルダー。
「ずっと持ってた。あのとき、買ったやつ」
「……私も、持ってます。いまでも」
2つのキーホルダーが、そっと風の中で揺れる。
「じゃあ、俺たちは“おそろい”ってことで」
「えっ……」
「秘密な」
そう言って先生は微笑んだ。
それは、最後の矢印だった。
もう、読まなくても、わかる矢印。
(ありがとう、先生)
コメは、そっと頭を下げて、
風の中に小さく言った。
先生はタバコに
火をつけた
風になびく髪
タバコのかおり
静かに微笑むクチ
細長く色っぽい指
耳元で囁く声
「さよなら。……だいすきでした」



