先生×秘密

高校三年、春。
教室の空気は、思っていたよりもずっとざわついていた。

「転校生だって!」「しかも女子」「かわいくない?」
「でも、あの髪色さ、ちょっとギャルっぽくない?」「あれ絶対、前の学校でも目立ってたタイプでしょ」

 ――色が、飛び交う。

コメには、“人の気持ちのベクトル”が見える。
それは、誰かの感情がどこへ向かっているのか、
矢印と色でわかるという不思議な力だった。
視線の代わりに、感情の塊が飛んでくる。
好奇心は明るい黄色、警戒はにぶい灰色。
嫉妬は、緑がかかった濁った黒。

転校初日というだけでも緊張するのに、
教室に入った瞬間、十数本の矢印が一斉に自分に向かってきたのだ。

 (……無理……うるさい……)

耳じゃなくて、心が騒いでいる。
自分に向かってくる全員の“気持ち”が、突き刺さってきて、息が詰まりそうだった。

 

 * * * 

 

(屋上、ないかな……)

休み時間になって、なんとか教室を抜け出した。
無意識に人の少ない方へ、静かな場所を探して階段を上がる。

屋上の扉を見つけたとき、心の中で小さくガッツポーズをした。
この学校、鍵がかかってないなんて、ラッキー。

ぎい、と少し重い音を立てて扉を押し開けると――

ふわっと、タバコのにおいが鼻をかすめた。

 

 「……あれ、誰かいるのか」

 

コメの視線の先、コンクリートの手すりに寄りかかっていたのは、一人の男性だった。
黒のスラックスにグレーのシャツ。教師だろうか。
無造作にくしゃっとした髪。左手にタバコ。

驚いたのは、その人の姿でもなく、タバコでもなく。
 ――その人から、矢印が出ていなかったことだった。

 

 (……え? なんで……?)

 

矢印がない。どこにもない。
まるで、感情の方向が“無”になっているような、不思議な感覚。



「転校生か。……騒がしかったろ?」

 

その人は、そう言って、タバコをくわえたまま遠くを見てる

コメは少し離れたところに座る

しばらく2人とも無言
感情の色を向けられていないから
無言でも居心地がよかった。


タバコを吸い終わった彼が近寄ってくる

コメの耳元に低い声で、彼は言った。

 

「秘密な。」

 

風が吹いた。彼の背中からも、やっぱり矢印は見えなかった。
代わりに、タバコの煙の匂いだけが、かすかに残った

 

屋上の片隅、手すりにもたれながら空を見上げた。
誰にも邪魔されないこの場所に、あの人はいつもいたんだろうか。

心の中のざわつきが、少しだけ静かになっていた。

 

 ――矢印が見えない人。
 コメの世界では、それだけで“特別”だった。