白い天井がゆっくりと視界に広がった。
機械の規則的な電子音が耳に届く。
ぼんやりとした意識の中で
自分がどこにいるのかもわからず、ただ眩しさに目を細めた。
「……湊! 湊、大丈夫!?」
聞き慣れた声が耳元で響いた。
ゆっくり顔を向けると
母さんが泣きそうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
その隣には父さんの姿もある。
二人とも心配そうに俺を見つめていた。
「……ここ、どこ?」
掠れた声が喉から漏れる。
「病院よ。あなた、昨日倒れたのよ。覚えてる?」
昨日——。
文化祭のライブが終わって、みんなで楽しく帰った後だった。
家に戻って夕飯を食べたあと、急に頭が割れるように痛くなって、そのまま倒れ込んだ。
そこで意識が途切れた記憶だけがうっすら残っている。
「検査をしたら、脳に腫瘍が見つかったって……」
母さんの声が震えていた。
腫瘍——。
意味を理解するまでに少し時間がかかった。
すると病室のドアが開き、白衣の医師が入ってきた。
「湊くん、意識が戻ってよかった。検査の結果についてお話しします」
母さんと父さんは重苦しい表情で席を詰め、医師はカルテを確認しながら静かに口を開いた。
「脳に腫瘍が見つかりました。進行はゆっくりですが、場所が悪く、手術も難しい状況です」
「そんな……」
母さんが顔を覆った。
「治療法は……?」
父さんが必死に問いかける。
だが、医師は申し訳なさそうに首を振った。
「残念ながら……。現時点では完治は難しく、緩和治療が中心になります」
「余命は……どのくらいなんですか」
母さんの声は震えていた。
その瞬間、医師の表情がわずかに曇った。
「おそらく……半年ほどでしょう」
半年。
頭の中が真っ白になった。
音が消えたように感じた。
半年?
たった半年で、俺の人生は終わるのか?
文化祭のライブも、学校生活も、全部まだこれからだったのに?
「……嘘だろ」
呟くように声が漏れた。
母さんが肩を震わせながら泣き出し、父さんも苦しそうに天井を見上げていた。
医師は申し訳なさそうに深く頭を下げると、静かに病室を出て行った。
その後、何を話したのか、あまり覚えていない。
ただ、ベッドの上で天井を見つめながら、気づけば夜になっていた。
*
病室の時計がカチカチと音を立てていた。
深夜二時を回っていた。
目が冴えて眠れなかった。
身体はだるく重かったけれど、頭の中は余命半年という言葉がグルグルと回っていて、まったく落ち着かなかった。
そっとベッドから抜け出し、病室を出た。
長い廊下をゆっくり歩く。
誰もいない病院は静かで、機械の電子音だけが微かに響いていた。
窓の外には真っ暗な夜空が広がっている。
「半年……」
独り言のように呟いた。
その言葉が自分の心に刺さる。
怖かった。
怖くて仕方がなかった。
このまま死んでしまうのかと思うと
息が苦しくなった。
廊下の突き当たりにある非常口の扉を押して、
非常階段に出た。
冷たい夜風が頬を撫でた。
星が瞬いている。
遠くで車の音が微かに響いていた。
病院の屋上まで上がると、熊本の街の灯りが小さく瞬いていた。
こんな夜でも、誰かが普通に生活している。
なのに、俺は——。
「どうして……俺なんだよ……」
震えた声が自然と漏れた。
涙が勝手に溢れてきた。
そのままうずくまるようにしゃがみ込んだ。
頭の中には、バンドの仲間の顔が浮かんできた。
真——。
紗希——。
どうして俺だけ、こんなことに。
思わず拳を握りしめた。
涙は止まらなかった。
今まで積み重ねてきたものが、すべて奪われていく恐怖。
その瞬間、ポケットの中のスマホが震えた。
画面には『真』の名前が表示されていた。
「……真」
通話ボタンを押すと、真の少し焦った声が耳に飛び込んできた。
『湊! どうしたんだよ! 病院にいないって連絡きたぞ!』
「……ごめん、ちょっと外に出てる」
『バカ! 体調悪いんだろ!? どこにいるんだよ! 今すぐ迎えに行くから場所教えろ!』
真の声は必死だった。
少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「病院の……屋上にいる」
『すぐ行く! 動くなよ!』
電話が切れた。
それから数分後、非常階段のドアが開いて真が駆け上がってきた。
「はぁ、はぁ……バカ野郎! 何やってんだよ……!」
真は肩で息をしながら俺の肩を掴んだ。
「……なんか、息苦しくて。部屋にいられなかった」
「そりゃそうだろ……」
真はそのまま俺の隣に座り込んだ。
「……母さんから聞いた」
小さく呟く真。
「……そうか」
「半年……だって?」
「ああ」
沈黙が降りた。
遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。
しばらくして、真がポツリと呟いた。
「……そんなの、納得できねぇよ」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
「俺も、全然納得できねぇよ」
お互いに顔を見合わせ、乾いた笑い声が夜空に溶けていった。
「でもな、湊。俺、最後までお前のそばにいるから。絶対に一人にしねぇ」
真のその言葉が、心に沁みた。
涙がまたこぼれそうになったが、必死に堪えた。
「ありがとな……真」
それだけが精一杯だった。
*
翌朝——
病室に戻っても、ほとんど眠れなかった。
医師の説明を受け、治療方針の話を家族で聞いた。
抗がん剤治療と放射線治療で進行を遅らせるという説明だった。
それでも完治は難しい。
「退院は……できますか?」
母さんが聞くと、医師は頷いた。
「今すぐに危険という状態ではありません。
無理のない範囲で、普段通りの生活をしていただくのが良いでしょう」
その言葉に、少しだけ安心した。
学校に戻れる。
まだみんなと過ごせる時間はある。
だが、半年という期限が常に頭の中に残っていた。
普通のふりをしても、心の奥には重く暗い影が常に居座り続けていた。
退院してから数日後——
久しぶりに登校した俺を、真と紗希が正門前で待っていてくれた。
「湊ー!」
紗希が笑顔で駆け寄ってくる。
「よっ! 久しぶりだな!」
真が大きく手を振る。
いつもの日常が、またここに戻ってきたことが嬉しくてたまらなかった。
「二人とも、ありがとな。心配かけた」
「バカ、お前が元気ならそれでいいんだよ」
真が照れくさそうに頭を掻く。
「これでやっとまた音楽できるね!」
紗希の笑顔がまぶしかった。
俺は小さく頷いた。
「うん——音楽室、行こうか」
*
久々の音楽室は、まるで俺たちだけの秘密基地に戻ってきたようだった。
窓から差し込む夕陽が楽器たちを柔らかく照らしている。
「おかえり、湊」
紗希がそっと呟いた。
「……ただいま」
胸がじんわりと温かくなった。
真が早速ベースを構え、俺もギターを手に取る。
指先が少し震えたが、それでもコードを押さえて弦を鳴らした瞬間——
あの日々が一気に甦った。
「よっしゃ、リハビリがてら軽くセッションすっか!」
真が笑う。
紗希がキーボードの前に座り、音を合わせ始めた。
ゆっくりと、でも確実に音が重なっていく——
(やっぱり、音楽は……最高だ)
病気も、余命も、この瞬間だけは忘れられる。
音楽に包まれて、ただひたすらに音を楽しめた。
「……いい感じだな」
演奏が一段落したところで真が言った。
「湊、ギターの感覚戻ってるじゃん!」
「まあ、体はちょっとなまってたけど……音出すとやっぱ気持ちいいな」
紗希も微笑む。
「やっぱり、湊のギター好きだな……すごく優しい音」
その言葉に、少しだけ照れた。
「ありがとな……」
心の奥で強く思う。
(今度こそ、この時間を守る。二人と最高の思い出を作るんだ——)
*
休憩の合間に真が切り出した。
「そろそろさ、文化祭のライブも見えてきたし——新曲、作らねぇ?」
「新曲?」
紗希が目を輝かせる。
「せっかく湊も戻ってきたしさ。三人で今の気持ちを全部ぶつけた曲、作りたいんだよ」
真の言葉に、俺も大きく頷いた。
「いいな……よし、やろう」
「やったー!」
紗希も両手を上げて喜んだ。
こうして俺たちは、新たな曲作りに向けて動き出した——。
(ここから、最高の半年を創っていこう——)
久しぶりに集まった俺たちのバンドメンバー。
「湊、大丈夫なの? 無理しなくていいんだよ?」
紗希が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ああ、大丈夫。やっぱり、ここにいると落ち着くよ」
「無理して笑うなって」
真が肩を叩いた。
「……バレた?」
「当たり前だろ。何年一緒にいると思ってんだ」
苦笑いする俺に、紗希も小さく微笑んだ。
この時間が、たまらなく愛おしかった。
「よし、練習始めようぜ。次のライブ、またやろう!」
真が明るく提案してくれる。
「……ああ、そうだな」
半年しかない。
でも、その半年を悔いのない時間にしよう。