その日の夜
約束の時間に合わせて、私はあのマンションの前に立っていた

心臓がずっと鳴りっぱなしで
何度も何度も深呼吸を繰り返す

──数日ぶりに会う

それだけなのに
まるで初めて会うみたいに緊張してた

 

エントランスに入ると
扉が開いて
飛悠が静かに顔を出した

「…来たな」

「…うん」

お互いに
妙にぎこちないまま部屋に入る

 

前と同じ
変わらない部屋の空気

でも今夜は少し違った

 

「…ごめんね、なんか私…あの夜…」

思わずそう言いかけると
飛悠は小さく首を振った

「玲那が謝ることじゃない」

 

優しい声が胸に響く

けど
それが逆に苦しかった





──ずっと、“いい子”でいるのも、もう限界だった

 

沈黙が続く中
私はテーブルの前で両手を握りしめたまま
声を震わせながら言った

 

「…ねえ」

「ん?」

「私を見てよ」

 

飛悠の目がわずかに動く

「私、子供じゃないから…」

震えながらも、私は一歩、彼に近づいた

「…私だって…」

涙が滲みそうになるのを堪えながら
そっと上着のボタンに指をかける

 

飛悠の手が
すぐにその指を押さえた

 

「玲那──ダメだ」

「…なんで?もう止まんないの…」

「ダメなもんはダメなんだよ…!」

必死に私を止める手が震えてた

 

「でも私、飛悠くんがいいの…」

「わかってる」

「なら──」

「それでもダメなんだよ…」

 

ぐしゃっと
私の髪を抱き寄せるみたいにして
飛悠は肩を震わせながら私を抱きしめた

 

「…俺が超えたら、お前は終わるんだ」

「そんなの…関係ない…!」

涙混じりの声が、止まらなかった

 

静かな部屋の中で
ふたりの苦しい呼吸だけが響いていた