――この一年、本当に、幸せだった。

どうしたら“普通の人間”みたいに振る舞えるのか、最初はさっぱりわからなくて。
空回りばかりで、君には怒られて、睨まれてばかりだった。

それでも少しずつ、ほんの少しずつ、君に近づけた。
君の隣で笑って、君のことを知って、
僕は、人間として生きているって感じることができたんだ。

あの日、君が差し出してくれた傘の下で――
僕はきっと、もう一度、生まれなおしたんだと思う。

君と出会った日、僕はひとりぼっちだったけど、
今は違う。大切だと思える人たちがいる。

だから、僕はもう、満たされてる。

たとえ、みんなに忘れられてしまっても。
たとえ、僕がこの世界に“いなかったこと”になっても。

僕は、後悔してないよ。
この姿になって、君と過ごした日々を、選んだことを。

……ありがとう。
君が僕を見つけてくれて、本当によかった。

――もしも、これを読んでくれているなら
きっと君は、自分を責めているんだろうね。

本当は、優しい君だから。

だから、お願い。
どうか、自分を責めないで。

これは僕の“選んだ結末”だから。

――僕の、大切で、大好きな人へ。

 

✦ ✦ ✦

 

「……愚か者だな」

手紙を閉じた男は、冷たい声でそう呟いた。

月も星もない空の下。
黒衣の男は、ただ静かに立っていた。

指先に残るのは、文字すら存在しないはずの“痕跡”。
――もう、この世界にはいない存在の言葉。

(こんなものに意味はない。お前がいたこと自体、なかったことになるのに)

だが男の脳裏に残っていたのは、最後の言葉だった。

『……でも君なら、覚えていてくれるでしょ?』

(……ふん。覚えていてほしい、だと?)

『誰に届かなくてもいいんだ。これは僕の――自己満足ってやつ』

無意味な祈り。届かない願い。
そう思えば、笑い飛ばすこともできたはずだった。

けれど。

ほんの一瞬だけ、男は目を閉じた。

“彼”が見た景色を、胸に抱いた感情を、
知っているような気がしたから。

「……くだらない」

そう吐き捨て、男は夜の闇にその身を溶かしていく。

まるで――

その愚かで優しい手紙の続きを、誰にも知られぬまま
静かに“見届ける者”であるかのように。

 

✦ ✦ ✦

 

それは、すべての終わりにして――

始まりの物語。