その村は、灰色の霧に閉ざされていた。
山の谷間にひっそりと佇む集落で、住民たちは互いに名前を知らず、ただ「隣人」と呼び合った。
誰もが同じ灰色の服をまとい、同じ灰色の家に住み、同じ灰色の食事を摂った。
色彩は禁じられ、感情は抑えられ、個性は罪とされた。
村の掟は単純だった。
「調和を守れ。異なる者は排除される。」

ユキは村で唯一、色を見る夢を見た。
赤い花、青い空、金色の光。
彼女はそれらを密かにスケッチブックに描き、家の床下に隠した。
だがある日、彼女の弟であるミノルがそのスケッチブックを見つけた。
ミノルはまだ10歳で、掟の重さを理解していなかった。
彼はユキの絵を「きれいだ」と笑い、村の広場で見せびらかした。

その夜、村人たちがユキの家に押し寄せた。
松明の火が灰色の霧を切り裂き、彼らの目は冷たく光った。
ユキの両親は抵抗せず、ただ頭を下げた。
「調和を守るため」と呟きながら。
ユキは引きずり出され、広場に連れて行かれた。
ミノルは泣き叫んだが、村人たちは彼を黙らせた。
拳で、足で、そして沈黙で。

広場の中央には、古い石の台があった。
そこにユキは縛られた。
村長と呼ばれる男が掟を読み上げた。
「異なる者は、村を汚す。汚れは、浄化されねばならない」
ユキは叫ばなかった。
彼女の目には、夢で見た赤い花が浮かんでいた。

浄化の儀式は、村人全員が参加するものだった。
ひとりひとりが石を手に取り、ユキに向かって投げた。
最初はためらいがちに。
だが血を見ると、ためらいは消えた。
石は次々と彼女の身体に当たり、骨が砕ける音が霧に溶けた。
ミノルは目を閉じさせられ、耳を塞がれたが、彼の小さな体は震えていた。

ユキが動かなくなったとき、村人たちは静かに家に戻った。
翌朝、彼女のスケッチブックは燃やされ、灰は風に散った。
ミノルは二度と笑わなかった。
彼は村の掟に従い、灰色の服を着続け、灰色の食事を取り続けた。
だが、彼の心には、ユキの絵が焼き付いていた。
赤い花、青い空、金色の光。
それらは彼を静かに蝕み、やがて彼もまた「異なる者」となった。

村は再び霧に閉ざされた。
調和は守られた。
だが、誰も気づかなかった。
ミノルの小さな手が、床下に新しいスケッチブックを隠したことを。