君と笑い合ったあの日々を、「演技」だなんて言わせない

1. 俺は、変われないのだろうか

 アジサイが花を咲かせ、滴が煌めいている。先程までは虹が見えているところもあった。
 俺——鷹波暁斗(たかば あきと)は学校の正門前で傘を閉じ、空を眺める。さっきまで街中を覆っていた、分厚く灰色の雲の隙間から太陽が顔を出し、所々で青空が見える。暖かい日差しが、体を包み込む。雨は止んで虹も見ることができた。今日は何か良いことがあるかもしれないという期待とともに、だるく重かった体が少し楽になったように感じた。
「あきとー! おはよっ」
 声の方へ振り向くと、走ってくる佐野一輝(さの いつき)の姿があった。
 彼とは中学一年生の時に出会い、高校一年生の現在までクラスが一緒。一人だった俺を助けてくれた存在。人の前に立つのが得意で、誰とでも仲良くできる、俺とはかなり反対の人間だ。高校生になってからも、クラスの中心的人物になっている。
 彼が俺に追いつくと、自然に二人並んで校舎へと向かう。
「朝から元気だね。一輝は僕と対照的だ」
「あーそっか。暁斗は天気崩れると体調悪くなるんだっけ」
 体の性質関係なく、朝からこんな元気な人間もそんないないと思うが……。
「うん。この時期は毎日辛い」
 “辛い”とは言ったものの、雨は割と好きな方だ。過去に何度も体調を崩したし、通行する自転車や車に水をかけられたりもした。でもそれ以上に、この光景や空気感が好きなのだ。
「てか昨日さ……」
 一輝は表情を変えてそう切り出す。少し軽やかだった足取りが、一気に重くなる。
 彼は堂々としていて、人との交流が得意な反面、衝突が度々起こる。思っていることを素直に伝えられるという能力が、却って悪さをしているのだろう。
「……ってことがあってさ。あいつまじでうざくね?」
 沢山話して、同意を求めてくる。最近はこういうやりとりが多くなった気がする。
「そ、そうだね……」
 会話のほとんどを聞き流して、適当に相槌を打つ。陰口なんか嫌いで、同意なんてしたくない。なのに、否定することも止めることもせず、同調する自分が本当に嫌いだ。
 彼は舌打ちをして、吐き捨てるように言った。
「あいつ、だから嫌われんだよ」
 なぜかその言葉は、心を深く突き刺した。まるで俺に言っているみたいだったからだ。
 自分だって自覚している。周りに合わせてばかりで、何があっても無理やり笑って、汚く卑怯な自分が嫌われる対象であることを。でもこうすることしかできないんだ。ありのままの自分では、みんなが離れていってしまう。誰一人として味方がいないというのはとても耐えられない。だからこそ、自分じゃない誰かを演じ続けなければならない。
 教室に入り外を見ると、灰色の雲は再び街を覆い、雨を降らせていた。

 四時間目の化学が終わり、昼休みに入った。教室では仲の良い人同士で机をくっつけ合い弁当を広げている。
「暁斗、昼飯食おうぜ」
 普段は集団で行動している一輝が珍しく一人で誘いに来た。俺は化学の教材を鞄にしまい、弁当を取り出しながら頷く。
「一輝、珍しいね。いつもの人たちは?」
「部活のことで先生から話があるんだってさ。あいつらサッカー上手だからなぁ、レギュラーなんだろうな」
 羨ましそうに一輝は言うが、彼だってバスケ部で一年生ながらにレギュラーだ。それもめちゃくちゃ上手い。新学期最初の練習試合では、部員の中で最も点を獲得したらしい。彼の性格上、先輩から何かされないかだけ不安だ。本当に。
「暁斗もすごいよなぁ。弁当毎日作ってるんでしょ? 地味だけど本当に凄いと思う」
「親に負担をかけすぎるのは申し訳ないからね。地味だけど、意外と楽しいよ?」
 地味ではないと思うが、否定はしないでおく。……そういうとこだぞ、俺。
 父は単身赴任中で、母も今は仕事が忙しい。入学当初は、母と日替わりで作っていたが、(せわ)しなく動く母を見て少しでも休んでほしかった。朝早くから起きるのは苦だが、これは仕方のないこと。
「いや無理無理。早起きとかできないって」
 彼は手を振りながら言う。朝あれだけ元気ならできそうだけどな……。

 昼食を食べ終え次の授業の準備をしていると、廊下が騒がしくなっていた。そのことに気づくのと同時に、友達同士で掲示板に向かうクラスメイトがいた。
「暁斗、俺らも行ってみようぜ」
「うん、いいよ。なんだろうね」
 一輝に誘われ、人の波に乗って教室を出て、掲示板を見に行く。
「すごいな、一体何があったんだ?」
 他クラス共有の掲示板でもあるため人が多く、後ろからではなかなか見えない。一輝についていくようにして人混みを縫っていく。やっとのことで、話題になっているであろうポスターを見つける。
 とても綺麗に、見やすくまとめられているそれは、演劇部からのものだった。秋の文化祭で行う演劇の主役を募集するらしい。説明会の日時が記載されていて、そこで詳しい内容を知らされるらしい。
 こんなに話題になる理由は、おそらく二つだ。一つは、この高校の演劇部は夏の全国大会の常連で、三年連続で優勝している。これだけの実績を持つならば、素人である一般生徒よりも、演劇部で行う方がいい。
 もう一つは、演劇部に所属する二年生の高華麗(たかはな れい)の存在である。容姿端麗、文武両道。学校一の美少女、らしい。男女問わず人気な彼女と親密になるにはとてもいい機会なのだろう。一輝も彼女に気があると聞いたことがあるが……。参加するのかな。
「暁斗、演劇やるの? めっちゃ見惚れてるけど」
「まさか、僕には無理だよ。人前にすら立てないから」
 間髪を入れずに苦笑いしながら答えると、一輝は少し笑いながら言った。
「だよな! 暁斗、なんか似合わないし。あ、俺、先に教室戻ってるわ」
 何かを思い出したような彼は人混みを抜け、どんどんと遠ざかって行った。
 残された俺は、音が消えてしまったような感覚に陥った。彼の放った一言が、何度も脳内で再生される。
 どうして、やってみたいって言えなかったんだろう。
 どうして、あんな風に心を刺してくるのだろう。
 俺の心が貧弱なだけなのだろうか。
 弱い自分に憤りを覚え、傷ついた心を抱き抱えながら、ポスターを片隅に捉えて、その場に立ち尽くした。

 帰宅後、制服からスポーツウェアに着替えた俺は、そのままベッドに倒れ込んだ。スマホを点灯させると、十七時と表示されていた。早く夕食を作らなければ。
 母は帰りが遅いので、いつも俺が夕食を作る。普段なら学校から帰ってすぐに作るが、今日はできそうにない。なんならこのまま眠ってしまいたい。現実から離れてしまいたい。
 天井を見つめながら、一輝を思い出す。彼に言われたあの言葉が、刺さったまま抜けない。幼い頃から俳優や声優に憧れていた俺は、演劇にものすごく興味があった。あのポスターが綺麗に見えたのは、自分がそれだけ惹かれていた証拠なのかもしれない。こんな機会二度とないだろうと思って、真剣に考えていた。
 改めてあの惨状を思い出すと、弱い自分に再び憤りを覚えた。いつになったら俺は変われるのだろう。いつになったら自分を好きになれるのだろう。生涯このままなのだろうか。考えれば考えるほど苦しく、泣きたくなった。感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、呼吸が浅く、速くなる。気づけば心臓がバクバクと音を立てていた。
 流石に夕飯を作らなければと思い、立ち上がって深呼吸をする。
 台所に向かうと、仕事から帰宅して料理を作る母がいた。仕事が早く終わったみたいだ。俺が作ると言ったが、母はいつも作ってもらってるから申し訳ないと言って台所にすら立たせてくれなかった。俺は仕方なく椅子に腰掛けて、母の料理の完成を待つ。トントンとリズムよく包丁を使う手慣れた音や、何かを焼いている音が響く。やがて美味しそうな匂いが家中に立ち込める。
 数週間ぶりに、母の料理を食べた。暖かくて、胸が締め付けられるみたいだった。
 涙を我慢して食べていたからか、後半から味がわからなかった。

2. ——は特別だから

 翌日、だるい体を引きずりながら教室へと向かう。
 教室が見えてきたとき、ふと掲示板に貼られた昨日のポスターを見て立ち止まる。なんだかんだで掲示板をこんなにしっかりと見たのは初めてかもしれない。
 ——やっぱり、やりたい。
 でも、なかなかその勇気が出ない。周りになんて言われるか、ちゃんと上手くできるのか、何より昨日の一件が、心を支配し続けている。
 一つため息をついて教室に入る。考えても仕方ない。どうせ俺にはできないんだから。それにずっと考えてると、これから毎朝あそこを通る度に見てしまいそうで怖い。
 席(一番窓側の一番後ろ)について鞄を横にかける。ホームルームまで特にすることもないので、鞄から読み途中の小説を取り出す。中学生のときから人と関わるのが苦手な俺は、こうやって一人で過ごせるようなことを探していた。昔から小説を読むのは好きだったので、それほど苦しくない。
 詩織を挟んでいたページを開いたとき、右隣から突然声をかけられた。
「暁斗くん、今日の放課後空いてる?」
 彼女は桑原鈴(くわはら すず)。初めての席替えで隣になって以来、たまに話すようになった人物だ。
「空いてるけど……、どうして?」
「ちょっと話したいことがあってさ。正門前で待ってるから、いいかな……?」
「う、うん。分かった」
 了承すると彼女は、「ありがとう! ほんとありがと!」と言って友達の輪へと戻っていった。
 何か悪いことをしてしまったのだろうかと少し不安になる。心当たりが全くないので大丈夫だと思うが、怒られたりしないことを願っている。
 変わりそうにない天気を見ながら、ため息を漏らした。

 時間が過ぎるのがいつもより速く感じた。気づけばもうホームルームが終わり、各々が帰宅を始めている。
 昇降口で靴を履き替え外に出ると、いつの間にか雨は止んでいた。まだ雲は残っていたが、少しずつ晴れてきているようだ。
 天気の変化に気づかなかったくらいぼーっとしていたのだろうか。今日の学校での記憶がほとんどない。授業の内容なんて言うまでもない。そもそもなんの教科だったっけ……。
 何か引っ掛かるものがあったが、晴れているうちに帰ってしまいたかったので、正門へと向かう。
「暁斗くん!」
 正門を抜けるとき、聞き覚えのある声が、俺の名前を呼んだ。
 驚き振り向くと、走ってきて肩で息をする桑原さんの姿があった。そして同時に、自分が最悪なことをしたのだと気づく。朝のやりとりが、ぼやけたものから確かなものに変わっていく。
 彼女は顔を上げると、少し怒った顔をして言った。
「忘れてたでしょ。そのまま帰ろうとするからびっくりしたよ」
「本当にごめんなさい。……完全に忘れてました」
 俺が百悪いので、即座に謝罪する。少しの間頬を膨らませていた彼女は、すぐににっこり笑ってくれた。
「立って話すのもあれだから、場所を変えたくて……。ついてきてくれない?」
「う、うん」
 話の内容がなかなか明かされないので、不安が増大していく。場所を変えなければ話せないことって相当やばいことをしたんじゃないだろうな……。でもいくら探っても見つからない……。
 案内する彼女の斜め後ろを歩きながら、ちゃんと話したことはなかったなと考える。首がぎりぎり隠れるくらいのミディアムボブの明るい茶髪が、太陽の光を反射し輝いている。朝のことを思い出すと、目鼻立ちも整っていたし、可愛いと言われている理由もわかる気がする。元気すぎず、明るく親しみやすい彼女は、男女隔たりなく仲良くでき、こんな自分といるのはあまり想像がつかない。
「あ、別に何か怒ってる訳じゃないよ! ただちょっと、学校では話しにくいだけで……」
 俺の不安な気持ちを察したのか、隣にきて伝えてくれた。なんで分かったのだろうと少し怖かったが、肩の力を抜かしてくれたのはとてもありがたかった。
「ほんと? ずっと不安だったんだ」
「暁斗くん、顔に全部出てたよ。なんかガッチガチに緊張してるみたいだったし」
「え、そんなに……?」
「そうだよー。なんか私が無理やり暁斗くんを連れ回してるみたいだったんだから」
「……それは、ごめん。でも今は少し楽になったよ。ありがとう」
 素直にそう伝えると、彼女は微笑んでいた。
 そんな会話をしていると、木々に囲まれた少し大きめの公園が見えてきた。どうやら目的地はそこのようで、横断歩道を渡って公園へと向かっていく。
 遠くから見たときよりもずっと大きい木が、緑の葉を揺らしていた。三段ほどの木でできた階段を登って入り奥へと進むと、外から見たときには想像できないほどの広さだった。入り口は複数あるみたいで、俺たちが入った場所の向こう側には多くの遊具があり、そこでは幼稚園生らしき子どもたちが遊んでいた。こちら側は、どちらかと言えばリラックススペースのような場所で、木々の下にベンチが数箇所あったり、少し歩けば屋根付きのテーブルと椅子も設けられている。ベンチやテーブルなどは木でできているため、公園の雰囲気ととても合っている。こんな場所があるなんて知らなかった。
 広大な公園に見惚れている俺を見て、彼女は優しい声で言った。
「すごいよね、この公園。私は別世界みたいに感じて、お気に入りの場所なんだ」
 別世界。その言葉はなぜかとてもしっくりきた。俺もそう感じたのかもしれない。自然溢れるこの場所は、季節によってきっといろいろな景色を見せてくれるのだろう。
 雨上がりでベンチは使えそうになかったので、屋根付きの場所に移動し向かい合って座る。
「それで、話したいことなんだけど……」
 その一言で、俺は背筋を伸ばす。何を言われるのだろうか。緊張で少し手が震えていた。
「演劇、やってみない?」
 彼女はやや時間を置いて、遠慮がちに言葉を絞り出した。
 昨日の出来事が一瞬にして蘇るのと同時に、心臓の音が大きく、速くなる。
「ど、どうして?」
 声が震えてしまい、動揺を隠し切ることができなかった。 
 すると彼女は、「実は……」といって申し訳なさそうに話し始めた。
「昨日と今日、暁斗くんが掲示板のポスターを食い入るように見てたから……。私は演劇部だから、何かできないかなって……」
 いろいろとびっくりだが、まさか見られていたなんて……。それに、彼女が演劇部だったことも知らなかった。
「でも、なんで僕なの? 他にも沢山見てる人はいたじゃないか」
「……あの時、佐野くんと一緒に見てたでしょ? たまたま近くにいたら、会話が聞こえちゃって……。暁斗くんはやるわけないって否定してたけど、……なんていうんだろう、悲しそうな顔をしてたから」
 ゆっくりそう答えると、「勝手に聞いちゃってごめん」と付け足した。俺はどう答えていいかわからず、黙り込んでしまった。だが彼女は、回答を急かすこともせずただ静かに待っていてくれる。その間にバクバクと音を立てていた心臓を落ち着かせることができた。
「僕には、できないよ。容姿もいいわけじゃないし、それに演技だって、できるはずない」
 そう答えるのが精一杯だった。せっかく誘ってくれたのにも関わらず、こんなにあっさり断ることに申し訳ない気持ちで心が埋め尽くされる。
「怖いのは、すごくわかる」
 少し間を空けて、唐突に彼女はそう言った。
「暁斗くんは誰かといるとき、いつも何かを演じてるように見える。でもそれは、優しいからだと思うんだ。きっと、周りとは比べものにならないくらい豊かな心を持つ証拠だと思う。だって私にはできないもん」
 静かに、にっこり笑って教えてくれた。隠しているつもりだったのに、作り笑いのこともバレていたなんて。
 今まで、このことは知られたら嫌われると思っていた。でも彼女は、そんな俺を認めてくれた。安心して、嬉しくて、少しずつ視界がぼやけていく。ダメだ、我慢しないと。
「だから私は、あなたと演劇をやりたい。周りに知られたくなかったら、説明会も出なくていい。私が全力でサポートする」
 信じられない。信じられるわけない。
 でも……、やりたい。
 だから俺は、考える間もなく聞いてしまった。
「そ、そんなの、いいの……?」
「大丈夫、ちゃんと許可はもらった。適当な理由つけて出席できなかったっていえば大丈夫だよ」
 そこまでしてくれていることを知って、決意は固まった。
「やってみるよ。全力で頑張る」
 込み上げる涙を堪え、不器用ながらに笑って見せる。彼女は、「そう言ってくれて良かった」と言って微笑んだ。
 突然の出来事に乱れた心を落ち着かせていると、少しずつ雲行きが怪しくなっていることに気づいた。そろそろ帰ったほうがいいかもしれないと言いかけたところで、ふと尋ねてみた。
「不思議に思ったんだけど、どうしてここまでしてくれるの?」
 すると彼女は、少し慌てた様子で、言葉を選ぶようにして言った。
「暁斗くんは、特別だから……」

3. ——沢山の出会い

 演劇をやると決めた次の日から、一気に人脈が広がった。
 登校早々、いつも桑原さんと一緒にいる三人に声をかけられた。彼女らは全員演劇部らしく、俺が参加することも桑原さんから聞いているらしい。
「ちゃんと話したことなかったよね? よろしくね!」
 三人のうちの一人を皮切りに、次々と言葉をくれた。俺は特殊な方法で参加するのでかなり不安だったが、こんな風に笑顔で受け入れてくれてとても嬉しかった。
 その中で最も濃い人物は北上香織(きたかみ かおり)さんだった。
 黒髪のロングヘアで、少し身長が高めの彼女も、一輝のようにクラスの中心人物だ。正直関わりたくなかった。だが後々、とても話しやすい人だと思い知らされる。
「鈴に誘われたんだよな!? 頑張れよ!」
 なんというか、圧がすごいのが難点……。慣れるのに時間かかりそう……。
 登校して輪に入ってきた桑原さんは、俺と話していることに心底驚いているようだった。「香織が話しかけてるから圧でいじめてるのかと思った」とめちゃくちゃ失礼なことも言った。
 桑原さんと北上さんは小学校のときからの親友らしい。昔から北上さんは気が強く尖りまくっていたみたいで、クラスメイトから怖がられて孤立していたところに、桑原さんと出会ったらしい。半ば強引に桑原さんにアタックし続けた、と自慢げに北上さんは語っていた。
「個性が強くて、ちょっと怖いかもだけど、いい子だから仲良くしてあげてね」
 桑原さんは、北上さんの頭を撫でながら言う。目が垂れている北上さんを見ると、なんだか犬と飼い主みたいな感じに見えて可愛らしかった。こういう見た目からはわからない、いわゆるギャップというものが、彼女が慕われる理由なのだろう。
 少し気になって一輝を探してみると、一人で机に伏せていた。彼は仲間内でのトラブルが悪化したみたいだった。その証拠に、普段一緒にいた人とは違う人といたり、一人でいるのを見かけるのが多くなったように思える。不機嫌なオーラを放つ彼には、誰も近寄れない。
 桑原さんたちの会話に意識を戻すと、一輝たちが纏う雰囲気と、桑原さんたちが纏う雰囲気にはとても大きな違いが感じられた。性別が違うからとかそういうのではなく。
 担任の先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まる。俺はさっきの会話を思い出していた。何年振りにあんなに話しただろう。
 桑原さんたちの間の笑顔はとても演技には思えず、心の底から楽しんでいるように見えた。こんな自分とは全く違うように感じた。こんな日々が送れたらきっと幸せだろうなと、勝手に思いはせる。

 放課後になると、俺は少しだけ罪悪感に苛まれた。今日は説明会の日。自分だけ出席しないのはいかがなものかと考えてしまう。
 帰宅の準備を終えると、桑原さんに声をかけられた。
「暁斗くん、演劇部見に行かない? 私も部活だし」
 彼女はつまり、オーディションのための知識を蓄えに行こうと誘ってくれているのだろうが、俺は部員でない。ましては説明会にも行ってない者が行ってもよいのだろうか。部員の方々に変な目を向けられたりするのはなるべく避けたい。
「で、でも、僕部員じゃないからダメなんじゃ……」
「そんなことないよー! 暁斗くんは一生懸命に演技をするんだから、それなりの見学は必須だもん! それに、部員全員が君のことを知ってるから、大丈夫だよ。オーディションを受ける人は、見学も許可してるしね」
 目を輝かせながら、声を張り上げていた。よっぽど興奮しているのだろう。
 彼女の言っていることはごもっともなので、素直に頷いてお邪魔させていただくことにした。それに、彼女がいると不思議と安心感が湧いてくる。
 スキップをするかのような足取りと共に、上機嫌で活動場所へと向かっていく彼女の姿を追う。背の低さも相まって、幼い子供のように見える。普段の生活でこんな一面は見たことなかったので、ちょっとびっくりだ。
 右手に見えてきた、「演劇部」という文字。そこが演劇部の部室らしい。扉を開け、彼女から先に入室する。
 そこには見たことのない景色が広がっていた。
 カメラやらなんやらが置いてあるのはまだしも、この部屋は通常の教室を三個程くっつけたぐらい広い。さっき外から見たときに気づかなかったが、確かに扉の位置がすごく離れていた。一番奥の部屋は備品室みたいで、ちょうどカメラと三脚を出しているところだった。
「君が暁斗くんか」
 部屋を見渡していたら、男性らしき声が届いた。
「僕は二年の高橋和哉(たかはし かずや)。演劇部の部長をやっているんだ。君のことは、桑原さんから聞いてる。自由に見ていってくれ」
 熱血そうだがどこか落ち着いている彼もまた、演劇が大好きなようで、部員の元へ駆け戻り熱心に話し合いを再開していた。
「すごいでしょ、演劇部」
 彼女は自慢げに、目を輝かせながら言った。
「うん。本当にすごい。ずっと、憧れてた」
 本心を、伝えた。こんなこと滅多にないけど、彼女には心を許してしまう。
 彼女はこちらに向き直り、熱量を抑えられない様子で言った。
「好きなだけ見ていいからね。質問だって、どんどんしていい。みんな優しいから、しっかり答えてくれるはずだよ」
 入部してまだ一ヶ月と少ししか経ってないはずなのに、これほどにまで信頼を置いているということは、相当居心地の良い部活なのだろう。
「うん、そうするよ。ありがとう、連れてきてくれて」
 感謝の気持ちを伝えると、「どういたしまして!」と花が咲いたような笑顔と共に返してきた。
 彼女に案内されながら、いろんなところを見学させていただいた。
 最初に向かったのは衣装担当の方々。そこには北上さんたちがいて、演技をより良くするために話し合いが行われていたが、決まるなり作成に取り掛かっていった。業者への依頼がほとんどだと思っていたが、半分以上を部で作るらしい。作業スピードがすごい速くて驚いた。
 小道具・大道具担当の方々も同じく、もうすでに作業に取り掛かっている。考える速さも制作の速さも、初心者じゃ絶対についていけない。この素早く正確な作業も、この演劇部の宝なのだろう。
 次に向かったのは照明とカメラ担当の方々。今回は合同会議だったようで、設置位置の確認や、人員の割り当てを行っていた。演劇にカメラを用いるのがなかなか想像できなくて桑原さんに尋ねてみると、思い出に残すための写真を撮ったり、演技で良かったところ撮って会議に用いたりと、結構利用することが多いらしい。過去にはフラッシュを演劇に取り入れたことがあったとか。
 照明担当の方々は、こうして会議を頻繁に開いて練習に臨むらしい。少しでもずれれば支障が出るシビアな役割のためだろう。
 そして最後、退室してすぐ近くにある会議室に向かうと、そこには大本命の演技担当の方々。先ほどの部屋では三年生の方々が、夏の全国大会へ向け練習をしていたが、流石に邪魔はできないので見学は控えた。
 各々で台本に目を通し、これから役を決めていくのだろう話し合いが行われている。ホワイトボードの文字を見ながら聞いていると、高橋さんに声をかけられた。
「君も良かったら会議に参加しなよ。台本も渡しておくね」
 台本をいただき、空いている席に着く。右隣には桑原さんが座った。部の会議に参加していると思うと、急に緊張感が増してくる。高橋さんは部長と舞台監督を兼任しているようで、それは少し危険なのではないかと老婆心ながら心配になった。それでも任されるということは、かなりすごい人なのだろう。
「桑原さんたちも来ましたし、せっかくなのでもう一度おさらいしましょう」
 高橋さんはそう言ってホワイトボードに書かれたことを順に指し、説明していく。
「今回は、我が校の文芸部が、昨年の最優秀賞に選ばれた作品です。本人との話し合いを重ね、脚本を作成しました。主人公役はオーディションで、ヒロイン役を含むその他の主要人物は、今回の会議で決定します。すでに台本には目を通していると思いますので、早速希望を取っていきますね」
 慣れた口ぶりで、会議を進行していく。こういう能力の高さも、良い演劇をする特徴になるのだろう。
 てっきり俺は、なんの役を演技するのかはすでに決められていたり、取り合いになるのかと思ったが、意外とあっさりと決まった。ただ、主人公を支えるヒロイン役は、高華さんと桑原さんでの多数決となった。実際にワンシーンを演じて投票した結果、桑原さんが選ばれた。二人とも的確にキャラを掴んでいたが、言葉にはできない違いがあった。
 主要な役者五名の役がそれぞれ決まると、高橋さんは言った。
「それでは役も決まりましたので、実際に演技をしてもらいます。向かないと判断されれば、もちろん交代です」
 真剣な表情で、「交代」の語句を強めて言い放った。考えれば当たり前のことなのだが、こうして言われるとその重みはすごかった。

 それぞれが演じても、役は変わらなかった。演技を見ていて共通していたことは、セットがあるわけでもないのにとにかく迫力がすごかったことだ。それに初披露でここまでできるなんて……。そういえばこの会議には最初から五人しか出席していなかったので、高橋さんがすでに見極めて選んだのだろう。
 その中でも高華さんと桑原さんは別格だった。俺は思わず「すげぇ」と口に出してしまったし、周りにいた人たちも、流石だなと言わんばかりの表情だった。高華さんに限っては希望していた役ではない。それにヒロイン役とは全然方向性の違う、いつもハイテンションのいわゆる「陽キャ」だった。それをこんなに早く、簡単にやり遂げてしまうなんて……。
「皆さん大丈夫そうですね。では、明日の練習から、本格的な部分に入っていきましょう。今日はもう時間も迫っているので、解散とします」
 高橋さんがそう告げると、「お疲れ様でした」と爽やかに挨拶をして、それぞれ会議室を出ていく。何気なく挨拶ができるところも、俺にとってはなかなかできるようなことではないので、見習おうと心に決める。
 台本に目を通していると、不安がっていることに気づいたのか、高華さんに名前を呼ばれた。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だって。桑原さんからスカウトされたんだし、きっと上手くいくよ」
 容姿端麗と言われている彼女は笑みを含んで、心から励ますように言ってくれた。あまり態度に出ないようにしていたのだが、そんな細かなところまで気づいてくれるなんて、噂の通りこの人は本当に欠点がなさそうだ。
 ……ん? スカウト?
 ちょっと待って……。そういうことか。
 脳をフル回転させて考える。こんな特別待遇があるのかとずっと思っていたが、これで辻褄が合う。やってくれたなぁ。演劇ができることにはとても感謝してるけど!
 そんな中で桑原さんはというと、手を合わせて謝罪を目で訴えている。そして話を合わせろとお願いしているようだった。
「そ、そうですかね……。やれるだけ頑張ってみますね」
「うん、がんばれ! みんな結構楽しみにしてるからね!」
 えー……。そんなすごい人間じゃないんだけどなぁ。ましては演劇なんて一度もやったことないのに。
「じゃあね」と言って手を振って会議室から高華さんが出ていくと、俺と桑原さん二人が残った。短い沈黙の中、先に口を開いたのは彼女だった。
「がんばってね。応援してるっ」
 単純で短い激励の言葉だったが、今はそんな言葉でさえ心を軽くしてくれる。
 俺は大きく頷いて、「また月曜日に」と言って出ていく彼女を見送った。少々ややこしいことになったが、どういう形であれこの場にいるのは紛れもなく桑原さんのおかげだ。精一杯、最後までやり切らないといけない。
 オーディションまで約一ヶ月。最高の演技をするという決意を抱えながら、学校を後にした。