現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

夜は深く、リビングの明かりだけが静かに灯っていた。

飛鳥の頬に流れた涙はすでに乾き、ふたりの間には言葉のいらない時間が流れていた。

テーブルの上には、淹れたままのハーブティーが冷めかけていた。

飛鳥は、ふと遥真の肩に寄りかかりながら、小さく息をついた。

「ねえ……ひとつだけ、話しておきたいことがあるの」

「はい?」

遥真が穏やかに返す。

「鷹野さんのこと。私……過去に——」

言いかけたその瞬間だった。

「……言わなくていいです」

その声は、とても優しかった。

驚いて目を上げた飛鳥に、遥真は静かに視線を重ねた。

「過去を忘れさせるのは、僕の役目です」

そう言って、彼はそっと飛鳥の唇に指をあてた。

その仕草は演技でも台詞でもなく、ただひとりの男としての、確かな意思だった。

(この人なら、過去から連れ出してくれるかもしれない)

飛鳥の胸の奥に、じんわりと熱が広がっていく。

それは言葉よりも先に、心が応えていた証。

ただの優しさではない。

ただの慰めでもない。

“未来へ連れていく”という覚悟が、そこにはあった。

飛鳥は小さく頷いた。

何も言わず、そっと遥真の肩に額を預けた。

それだけでよかった。

それだけで、今夜のすべてが救われた気がした。

過去を語らなくても、今の自分を受け入れてくれる人がそばにいる。

そのことが、何よりの救いだった。

「……ありがとう」

小さく囁いたその声は、涙混じりだったが、どこか晴れやかでもあった。

遥真の手がそっと飛鳥の背中を撫でる。

「大丈夫です。もう、あなたの過去に誰も触れさせません」

その言葉の奥にあるのは、誓いだった。

彼女の傷を癒すためではなく、これからの時間を共に生きるための——未来への責任。

ふたりの影が、リビングの柔らかな灯に溶けてひとつに重なる。

どちらからともなく、そっと指が重なり、静かに手をつないだ。

ただ、それだけでよかった。

愛は、語られなくても通じ合うときがある。

時計の針の音が、静かな部屋に心地よく響いていた。

窓の外にはうっすらと朝の気配が滲み始め、街の輪郭が少しずつ目覚めていく。

飛鳥は、ふと小さく笑った。

「……ねえ、明日からのこと、少しずつ話していこう」

遥真がうなずく。

「もちろんです。どんな話でも、何度でも」

ふたりの声は小さかったが、その響きは確かに未来へとつながっていた。

そしてその夜、飛鳥の中でひとつの決心が芽生えていた。

(私も、彼の未来に寄り添える自分になりたい)

壁時計の針が、静かに新しい一日を指し始めていた。

それはふたりにとって、過去を超えて踏み出す、最初の朝だった。

希望という名の光が、少しずつ部屋の片隅を照らし始めていた。