現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

ラスト撮影の日。

早朝のスタジオには、独特の高揚感と、終わりを惜しむような静けさが混在していた。

スタッフたちが準備に追われるなか、飛鳥はひとり、控室で脚本の最終確認をしていた。

すると、ノックの音。

「どうぞ」

ドアが開き、そこに現れたのは、柊あかねだった。

視線がぶつかる。

一瞬、気まずい沈黙。

けれど、あかねはすっと歩み寄り、飛鳥の正面に立った。

「どうしましたか?」

飛鳥が静かに言うと、あかねはわずかに笑った。

「遥真くんに……告白したの。昨日」

飛鳥の指が、手元の台本の角をぎゅっと握る。

「でも、断られた。きっぱりと、ね」

言葉はさらりとしていたけれど、その目は赤かった。

「あなたは……ズルいほど、自然だった」

涙が一粒、頬を伝った。

「私ね、本気だった。好きだった。でも、負けた」

その表情には、潔さと、ほんの少しの悔しさが混ざっていた。

飛鳥は、何も言えなかった。ただ、まっすぐにあかねを見つめていた。

「女同士の戦いなんて、笑われるかもしれない。でも、私は本気で勝ちたかったの。仕事も、恋も、全部」

「……わかる」

自分の口からその言葉が出たことに、飛鳥は少しだけ驚いた。

あかねは、ふっと口角を上げた。

「でもね、不思議と今は、引き下がってもいいって思えるの。きっと、それだけあなたの想いが強かったんだと思う」

「想いの強さって、目に見えないけど……伝わるのね」

「うん。悔しいけど、今の私には届かなかった。あなたの書く脚本も、彼を見つめる視線も、全部が自然で、あったかくて……」

言葉を探すようにあかねは天井を仰いだ。

「私、ずっと勝ちたかった。自信もあった。でも、あの人の隣に立っているあなたを見て、それだけじゃ届かないんだって初めて思ったの」

飛鳥の胸に、ほんの少しだけ痛みが走った。

勝ち負けじゃない。ただ、差があったのは、想いの“深さ”だった。

「ありがとう、飛鳥さん。あなたと戦えてよかった」

そう言って、あかねはすっと背を伸ばし、静かに控室を後にした。

残された飛鳥は、静かに息を吐いた。

自分でも気づかないうちに、彼女に共感していた。

恋に敗れたあかねの涙が、どこか他人事ではなかった。

自分があの夜、遥真に想いを届けられなかったら、今の彼女のように終わっていたかもしれない。

そう思えた今の自分に、少しだけ驚いていた。

あかねは、自分の“憧れの姿”のひとつだったのかもしれない。

すべてを自信と努力で手に入れてきた、強く美しい女優。

そして最後に、自分の想いを言葉にして、堂々と身を引いた。

敗北ではなく、矜持ある退場。

その姿に、飛鳥は確かに胸を打たれていた。

控室の窓から差し込む陽光が、台本のページにふわりと落ちていた。

物語は、もうすぐクランクアップ。

けれどそれぞれの心の中では、まだ続いていた。

まるで、新しい幕が静かに上がるのを待つように。