現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

夕暮れの空が、東京の街を赤く染めていた。

飛鳥は無言で、鷹野の住む高層マンションのインターホンを押した。

重たいドアが開く。

「ようこそ」

変わらぬ鷹野の笑顔。けれどその奥にある支配の色を、今の飛鳥は見逃さなかった。

リビングのソファに通され、互いに座る。沈黙が一拍。

そして鷹野が口を開いた。

「君を、僕のものにするためなら、何でもするつもりだ」

その口調は穏やかでありながら、冷たく研がれていた。

「久遠遥真とは手を切ってくれ。あの男は君にふさわしくない。君は、俺のものだ」

一瞬、空気が止まった。

けれど飛鳥は、もう怯えなかった。

恐怖ではなく、込み上げたのは怒りだった。

そして、それを初めて口に出せた。

「……その言い方が、あなたから逃げた理由よ」

鷹野の目が、わずかに揺れた。

「あなたは、いつも私の意思を聞かずに、“所有”しようとする。でも私は、人形じゃない」

言葉が震えなかったのが、自分でも不思議だった。

けれど、それはきっと、この言葉をずっと言いたかったからだ。

「お願い。遥真を主演として継続させて。彼じゃなければ、私はこのドラマを完成できない」

鷹野は静かにワインを口に含んだ。

そして、目を細めて言う。

「それはつまり……彼を主演に戻さなければ、脚本家である君も降板するということか?」

飛鳥ははっきりと頷いた。

「ええ、そうよ」

長い沈黙。

やがてグラスをテーブルに置いて鷹野は立ち上がり、飛鳥の前にゆっくりと歩み寄る。

次の瞬間、彼の指が鋭く顎を捉えた。
強引な力で顔の向きを固定される。まるで選択肢など、はじめからなかったかのように。

「それは困ったな。君との接点はまだ持ち続けていたいからな」

その目に、計算と執着の色が浮かんでいた。
息をのむほどの距離。
彼の瞳は猛獣のように鋭く、けれど獲物を見るような熱を孕んでいた。

けれど、飛鳥は微動だにせず、真正面から見返した。

「そう思うなら、私の選んだ相手も尊重して」

その視線に、鷹野はふっと息を漏らす。

「わかったよ。久遠遥真を主演に戻そう」

ようやく、過去に決着がついた音が、静かに胸の奥で鳴った。

けれど、それは終わりではなく、はじまりだった。

「ありがとう」とは、決して言わなかった。

それは、言ってはいけない言葉だった。

鷹野との関係は“感謝”ではなく“決別”として、この場で終わらせたかった。

「もう一つだけ、聞かせてくれないか」

「何を?」

「彼の、どこがそんなにいいんだ?」

飛鳥は迷わず、こう答えた。

「私を、所有しようとしなかったところ」

その瞬間、鷹野の目から光が消えた。

そして彼は、静かに目を伏せた。

「……面白い女になったな、飛鳥」

「ええ、あなたから離れて、やっと呼吸できたから」

そう言って、飛鳥は席を立った。

背筋を伸ばし、過去に背を向けて。

マンションを出たとき、外の風は驚くほど心地よかった。

その夜、飛鳥は初めて過去の夢を見なかった。