現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

夜明け前の静かなアパート。

カーテンの隙間から、まだ青い朝の気配が少しずつ滲み始めていた。

飛鳥は、部屋の中央に広げたパソコンに向かっていた。

目は赤く、けれどその奥は、どこまでも澄んでいた。

脚本の修正作業。

何度も読み返し、そして、何度も消して書き直す。

「このセリフ、違う……」

独りごとのように呟きながら、指先が素早くキーを叩く。

これまでの自分が書いた台詞には、まだ“逃げ”があった。

言葉をぼかし、感情を悟られないようにし、結論から目を背ける——

それはきっと、自分自身が恋と真っ直ぐに向き合えなかったから。

でも、もう違う。

「……もう、嘘は書かない」

静かに、けれど確かな決意でそう言いながら、飛鳥は画面を見つめた。

遥真と出会い、揺れて、怯えて、それでも信じたいと思った気持ち。

その全部を、逃げずに脚本に刻もう。

作品は、ただの作り話じゃない。

自分のすべてを込めて届ける“言葉”であり、“生き方”だ。

だからこそ、飛鳥は書く。

「私はあなたが好き。怖いけど、でも、それでも、あなたと同じ場所に立ちたい」

台詞として打ち込んだその一文に、自分の心が小さく震えた。

それは、誰かに向けたフィクションでありながら、自分の“答え”だった。

(プロとして、私は恋と向き合う)

脚本家として。

女として。

逃げずに書くことが、今の自分にできる最大の勇気だと思った。

言葉を飾らない。

ごまかさない。

届かなかったとしても、誰かが笑ったとしても、それでも自分の本音に嘘をつかない。

そう決めた夜だった。

朝が来る頃、ようやくキーボードを打つ音が止まった。

完成した修正稿を見つめながら、飛鳥はそっと目を閉じる。

画面の中の言葉が、まるで自分を励ましてくれているように見えた。

これが、今の自分にできる“恋の返事”。

そして、それは嘘のない“物語”だった。

長い間、愛を書くことを避けてきた。

愛を描こうとすると、タイピングの手が止まっていた。

自分の中にある優しさや弱さに、蓋をしてきた。

でもいま、ようやく初めて、自分の意志で「愛している」と書けた気がした。

これは、遥真への手紙でもある。

そして何より、自分自身への宣言でもある。

——私は、恋と、物語と、自分の人生と、ちゃんと向き合います。

その想いが、静かにモニターに映る文字の奥で、確かな光となって宿っていた。

夜が明ける直前の空は、不思議なほど澄んでいた。

目に見えないものが、ようやく形になったような、そんな静けさだった。