現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

飛鳥が静かに涙をこぼしたあとも、遥真は何も言わず、ただ背後から彼女を抱きしめ続けていた。

時間が止まったかのような沈黙。

その中で、彼はぽつりと呟いた。

「……俺じゃダメですか」

声は震えていなかった。

だけど、その響きはどこまでもまっすぐで、切実だった。

飛鳥の背中に当たる腕のぬくもりが、体の奥まで染み込んでいく。

(ダメじゃない……ダメじゃないのに)

心がそう訴えているのに、喉が言葉をせき止めていた。

遥真が真剣に自分を想ってくれていることが、痛いほど伝わってくる。

だからこそ、怖かった。

これ以上、誰かを信じて傷つくのが怖い。

何かを預けて、失って、また自分を責めるのが怖い。

自分が誰かに必要とされているという感覚が、こんなにも温かくて重いなんて、思っていなかった。

飛鳥は、抱きしめられたまま微かに震えながら、それでも動けずにいた。

「……過去の男のせいで、俺のことまで遠ざけないでください」

その一言が、心に深く突き刺さった。

過去。

鷹野との関係。

愛されたと思っていた時間が、振り返ればすべて“支配”だったことに気づいた時の絶望。

自分の心すら信じられなくなった、あの日々。

相手の声色、表情、沈黙の意味すら探り続け、常に何かに怯えていた時間。

心を閉じることが、唯一の自衛手段だった。

でも、遥真は違う。

彼の言葉も、仕草も、まなざしも——どれもが丁寧で、優しくて、恐ろしいほど誠実だった。

(私は……彼を“信じたい”と思ってる。でも、怖がる癖が……抜けないだけ)

そう心の中で呟く。

自分が歪んでいるわけじゃない。

壊れたわけじゃない。

ただ、まだ癒えていないだけ。

飛鳥はゆっくりと、腕の中で小さく呼吸をした。

「……ダメじゃない。ただ……まだ怖いの」

それだけをようやく言葉にすると、遥真は少しだけ力を緩めて、しかし腕は離さなかった。

「怖いままでいいです。俺、逃げませんから」

その声に、ほんの少しだけ、肩の力が抜けていくのを感じた。

信じたいのに信じられない。

近づきたいのに、手を伸ばすのが怖い。

それでも、今この瞬間、自分は逃げていない。

彼の腕の中で、ようやく心が少しだけほどけていくのを、飛鳥は確かに感じていた。

その温もりは、彼女がずっと欲しかったもの——“強くて静かな優しさ”だった。

たとえ、明日また怖くなってしまったとしても。

彼の声があれば、思い出せる気がした。

「怖いままでいい。俺、逃げませんから」

その言葉が、何度も心の中で反芻される。

飛鳥は、ようやく自分の中にある“愛されたい”という気持ちに、そっと触れた気がした。

そして——

それは、誰かにすがることでも、誰かに守られることでもない。

もう一度、自分を大切にしようと思えるようになる、そのはじまりだった。