現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

スタジオに差し込む午後の光が、原稿の紙面に柔らかく落ちていた。

飛鳥は、前夜書き上げたばかりの脚本案を手に、遥真のもとへと向かっていた。

「このシーン、次の収録で使う予定です。クライマックスで……主人公が、相手に“愛してる”って言う場面」

そう前置きしながら、原稿を差し出す。

緊張していた。

“愛してる”という台詞。

どんなラブストーリーにも欠かせないはずの言葉を、これまで自分は一度も正面から書けなかった。

でも今は、違う。

目の前の彼に言ってほしい言葉として、ようやく書けた。

遥真は受け取った原稿を丁寧に読みはじめる。

沈黙。

ページをめくる音だけが、部屋の空気を刻んでいた。

そして——

「……じゃあ、読んでみますね」

姿勢を正し、原稿のクライマックスに差しかかる。

“……俺、ずっと言えなかった。怖くて。言葉にしたら壊れてしまいそうで。でも、今なら言える。”

一拍、呼吸を整えるように間があった。

“……愛してる”

その言葉が、静かに室内に放たれた瞬間。

飛鳥の心に、確かな何かが触れた。

たった五文字。

でも、それはただの台詞じゃなかった。

遥真は、原稿を閉じた。

そして顔を上げ、飛鳥を見つめる。

「……これ、俺の言葉でもいいですか?」

飛鳥は、息を呑んだ。

「……俺、愛してます。飛鳥さん」

その瞬間、世界が音をなくした。

耳鳴りのような沈黙のなかで、ただその言葉だけが鮮明に響いていた。

脚本家としてではない。

恋愛を描く作家でもない。

ただの“飛鳥”として、誰かに愛されている。

それを初めて突きつけられて、飛鳥は言葉を失った。

涙が出そうだった。

でも、それを流したら、もう“演技”という盾では隠れられなくなる。

心を預けるということ。

誰かに触れられるということ。

信じるということ——

それらすべてが、自分にとってどれほど恐ろしくて、どれほど欲しかったものだったかを、痛いほど思い知った。

自分が壊れてしまうかもしれない。

でも、今この瞬間、彼の言葉がまるで守るように自分を包み込んでいるのを感じていた。

「……ごめんなさい」

小さく、かすれた声でそう言うのが精一杯だった。

「今は、まだ……こたえられない」

遥真は驚いた顔をしたが、それでもゆっくりと頷いた。

「……わかってます。待ってます」

その言葉に、飛鳥はまた涙がこみ上げそうになった。

でも、今はまだ、泣かない。

今度こそ、自分の意思でこの気持ちに向き合いたい。

そう思っていた。

沈黙が落ちる部屋の中、二人はしばらく視線を交わしたまま動けずにいた。

遥真の目は、何一つ強制しないまま、ただ彼女の決断を受け止める色をしていた。

その“待つ”という姿勢が、飛鳥の胸に温かく染み入ってくる。

「……ありがとう」

ぽつりと漏れたその言葉には、感謝だけでなく、未来への小さな希望が混じっていた。

これまで“愛される”ということに縁のなかった自分が、今ここで、ようやく“愛されてもいい”と思い始めている——

それだけで、世界の色が少しだけ変わって見えた。

自分を守る殻を、少しずつ剥がしていける気がした。

演技じゃない言葉を受け取って、演技じゃない想いを返せる日が、いつか来る。

その日まで——彼が待ってくれるなら、私はもう一度信じてみたい。