現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

パソコンの画面が、まっさらな白を灯していた。

飛鳥は、自室の机に座ったまま、無言で数時間が過ぎていた。

カップに注いだ紅茶はすっかり冷め、時折触れる指先にも、もう温もりはなかった。

「……恋人は、こういう時……何を考えて、何を言う……?」

キーボードに指を置いたまま、彼女は呟いた。

手が止まる。

言葉が、出てこない。

脚本の修正依頼が入って数日。恋人同士の会話をもっと自然に、もっと“今の若者らしく”描いてほしい——そう言われた。

恋愛シーンの追加。微妙な心の揺れをセリフとト書きに落とし込む作業。

だが、書こうとするたびに、胸の奥に鈍い痛みが走った。

「……私は、感情を書くのが一番苦手なんだ」

ぽつりと、部屋の中に響いた独白。

飛鳥は、己の胸の内から湧き上がってくる“何か”を、どうしても言葉に変換できなかった。

書けない——それは、感じられない、ということだった。

登場人物の心に寄り添おうとしても、深く踏み込もうとした瞬間、自分の中の“防御壁”が立ちはだかる。

(感じてしまったら、私はきっと、壊れる)

その恐怖が、心の奥に根を張っていた。

過去。

愛されることに怯え、触れられることに身をすくめ、見つめられることに意味を探し続けた、あの日々。

傷つく前に、誰よりも早く距離を取った。

心が壊れるより前に、自分の感情を無効化した。

——恋なんて、なくても生きていける。
——むしろ、その方が楽だ。

そうやって“逃げてきた”ことに、彼女はまたしても気づいてしまう。

文字数だけは増えていく。

けれど、それは“会話”ではなかった。

まるで台詞をなぞるような、空っぽのセリフたち。

相手役の存在感が薄く、やり取りがかみ合わない。

「これで本当に“好き同士”って、伝わる?」

何度も画面を見直しても、そこにあるのは感情の通っていない“作り物”だった。

焦りだけが募る。

締め切りは刻一刻と近づいてくる。

プロとして、納品すべき台本。

なのに、自分自身が“恋”という言葉に耐えられないまま、そこに立ち尽くしていた。

飛鳥は深く椅子にもたれた。

頭に浮かぶのは、あの夜のこと。

「……俺、今日ずっとそわそわしてました」

遥真の声。

差し出された手。

優しさ。

「……飛鳥さんが、あの人と会うって聞いたときから、ずっと……」

言葉の一つひとつが、心に刺さるのではなく、染み込んでくるようだった。

あのとき感じた安心、嬉しさ、胸の高鳴り。

(……あの人の言葉なら、書けるかもしれない)

初めてそう思った瞬間だった。

遥真のことを、台詞にしてみたい。

彼が自分にくれた言葉。

それを、今度は自分の言葉で返したい。

初めて“書きたい”という気持ちが、小さな灯のように胸にともった。

飛鳥は再びキーボードに手を置いた。

「……好き、って、どうやって言うんだろう」

その問いは、過去ではなく、未来への第一歩だった。