現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

「──飛鳥さん、僕とこのまま帰りましょう」

遥真の声が、夜風を切るように響いた。

飛鳥は、一瞬、息を呑んだ。

現場ではいつも冷静で、控えめな印象だった遥真が、こんなにもまっすぐに自分の名前を呼ぶこと。

ましてや、あの場に鷹野がいたにも関わらず、真っ直ぐに手を差し出すなんて。

(──こんな、大胆なことする人じゃなかったのに)

戸惑い。けれどその胸の奥から、もうひとつ別の感情が顔を出していた。

それは、確かな“ときめき”だった。



駅前からの道のり、ふたりは多くを語らなかった。

けれど、夜の冷たい風に吹かれながら歩くその数分間が、なぜかとても長く、そして満たされていた。

飛鳥のマンション前まで着いたとき、彼はふと立ち止まり、深く息を吐いた。

「……送ってくださって、ありがとうございます」

飛鳥が言おうとしたその瞬間、遥真が、何も言わずに飛鳥をそっと抱きしめた。

驚きで、声が出なかった。

けれど、その腕の中は驚くほど自然で、あたたかかった。

「……俺、今日ずっとそわそわしてました」

その囁きが、夜の静けさに溶けていく。

飛鳥の心が、音を立てて震えた。

「どうして……?」

「飛鳥さんが、あの人と会うって聞いたときから、ずっと……。本当は、行っちゃいけないかなって思ってたんです。余計なお世話だって、嫌われるかもしれないって……でも、それでも、どうしても我慢できなくて」

声は震えていなかった。

ただ真っ直ぐで、抑えきれない想いだけが、誠実に響いていた。

(……どうして。こんなに)

自分が思っていた以上に、この人は、ずっと自分を見てくれていた。

撮影の合間、何気ない沈黙の中、そしてさっきの一歩。

すべてが“見ている”だけではない、“想っている”人のものだった。

「……私、過去のことで、いろんなことに自信がなくなって……誰かを信じるってことが、怖くなってて……」

ぽつりぽつりと、飛鳥は言葉をこぼした。

「でも今日……迎えに来てくれて、手を差し出してくれて、こうして抱きしめてくれて……」

遥真の肩に額を預ける。

「……嬉しかった。安心したの。私、ちゃんと“今”を生きてるんだなって、そう思えた」

「飛鳥さん……」

胸の奥に、熱がじわりと広がっていった。

遥真の腕の中で、飛鳥は初めて、過去に縛られていた自分の心が、少しずつ解けていくのを感じていた。

彼の腕のぬくもりは、安心だけではなかった。

そこには、彼女自身がずっと欲しかった“尊重”と“共に歩く”という意志が宿っていた。

その夜、彼のぬくもりの中で眠るような感覚に包まれながら、飛鳥は心からこう思った——

もう、あの頃の自分には戻らない、と。

私はもう、自分を誰かの“所有物”として扱われる存在ではない。

そう、確かに思えた。