現実は、恋愛ドラマよりも甘く~恋を知らない俳優と、恋を書けない脚本家~

数日ぶりの“恋愛レッスン”。

テレビ局の会議室。以前と同じ場所だが、妙に静かに感じるのは、飛鳥の心に変化があるからかもしれなかった。

今日の練習テーマは、次回の脚本で盛り込もうと考えているワンシーン——“おでこコツン”。

脚本上、ヒロインが泣き出しそうになったとき、主人公が軽く額をぶつけることで、彼女を笑わせるという可愛らしい演出。

ふたりは机を端に寄せ、広めに空けたフロアの真ん中で向き合っていた。

「じゃあ……やってみようか」

飛鳥の声は、思ったよりも緊張していた。

遥真は真剣な表情で頷く。

「額を当てる、って、実際にはどのくらいの距離ですか?」

「ほんの少し触れるだけでいいと思う。ごく自然に。優しく」

「はい……じゃあ、行きます」

一歩、また一歩と、距離が詰まっていく。

顔が近づく。視線が絡む。

額が重なる寸前、どちらかのバランスがわずかに崩れた。

「……あっ!」

コツン、と。

思った以上に勢いがついてしまった。

額同士がしっかりとぶつかる。

「いった……!」

「ご、ごめんなさい!バランス崩しちゃって……!」

ふたりはお互いを見合い、次の瞬間、思わず笑い出していた。

「あははっ、もうちょっとソフトでよかったかもね」

「ですね……飛鳥さん、痛くなかったですか?」

「大丈夫。むしろ目が覚めた感じ」

軽口を交わしながら、ふと目が合った。

笑っていた口元が、少しずつ止まり、代わりに視線が言葉を失わせる。

沈黙。

部屋に響くのは、エアコンのかすかな風音だけ。

目と目。

何かを確かめるように、静かに向き合ったまま、時間が止まったような感覚。

額に残る微かな熱が、その沈黙をより鮮やかに彩っていく。

息を飲むほどの至近距離。互いの呼吸が肌に触れそうなほど近くて、それでも逃げ出せなかった。

——演技だったはずなのに。

「……もう一回、やってみようか」

飛鳥がそう言って笑う。

その笑顔は自然なものだったけれど、胸の奥に湧き上がる鼓動を隠すための、精一杯の仕草でもあった。

遥真もまた、頷きながら、どこか少しだけぎこちない笑みを返す。

笑い合っているのに、どこか真剣。手に取るような緊張と、言葉では説明できない温度が、ふたりの間に漂っていた。

「じゃあ……もう少しタイミングを意識して、軽く触れる感じで」

「わかりました。こう、そっと寄せて……」

再び距離を詰めながら、遥真は少し首を傾ける。

そして、ゆっくりと額が重なる。

今度は、まるで羽が触れ合うように柔らかく。

触れたままの状態で、数秒間そのまま静止する。

何も話さなくても、伝わるものがあった。

そしてゆっくり離れる。

「……うまくいったね」

飛鳥がそう言うと、遥真は「はい」と小さく返した。

だがその声には、どこか戸惑いが混じっていた。

心のどこかがざわついている。

お互いに、まだ“気のせい”のフリをしている。

だけど、額が触れたときの、あの静かな熱。

目を合わせた瞬間の、言葉にならない揺らぎ。

笑顔の奥にあるもの。

それがもう、演技ではごまかせない場所にあることを——ふたりは、少しずつ気づき始めていた。

言葉にしたら壊れてしまいそうで、沈黙のまま向き合っている。

だけどその沈黙が、何よりも雄弁だった。